ヒルマン監督
日本のプロ野球界で、外国人監督としてもっとも成功したのは誰か?
二者択一になると思う。千葉ロッテのボビー・バレンタインか、北海道日本ハムのトレイ・ヒルマンか。
ヒルマン監督は5年間の在任中、大きな変化を遂げた。それを端的にあらわしているのは「犠牲バント」の数だ。
3年目までの2005年まで、日本ハムの犠牲バントの数は他球団と比べて少なかったが、昨年からは一変、リーグナンバーワンの犠牲バントを記録するようになった。今年2007年は151個。2位のオリックスが119個、もっとも少ないロッテは85個だから、いかに日本ハムの数字が突出しているかが分かるだろう。
昨年を境にヒルマン監督は「転向」したのである。
なぜ、このような大胆な発想の転換を行ったのだろうか。
ヒルマン監督は次のように話している。
「最初の3年間は、アメリカ流の『チャンスを広げる』という発想で指揮をしていました。ノーアウトでランナーが出たら、次の打者はヒッティングに出て、チャンスを膨らませるという考え方です。しかし、日本で育ってきた選手は、それよりも確実に1点を取ることの方が安心することに気づいたのです。たとえそれが初回であっても。リードすることの安心感、そのメリットに気づいたのです」
ヒルマン監督が成功した裏には、こうした「気づき」があったのである。
最初の3年間の葛藤が報われた形になったのである。
私は当初、ヒルマン監督に温厚な印象を持った。マスコミへの対応は柔らかだ。
それと同時に猛烈に「真面目」な人、という感触を持っていた。
真面目ということは、時として融通が利かなかったり、自分の考えに固執するマイナス面がある。しかしヒルマン監督は4年目に日本の野球に対して柔軟な姿勢を示し、そして成功を収めた。
今年でヒルマン監督は日本を去る。来年からはメジャーリーグ、カンザスシティ・ロイヤルズのユニフォームを着る。
日本での5年間が、メジャーでの指揮にどんな影響を与えるのか、それを見るのが楽しみだ。
