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いやいやご無沙汰しています。何をしてたんだ?!と、ある阪神ファン(30歳独身男、阪神ファン歴31年(おなかに入ってたときかららしいです。NHK勤務)からおしかりを受け、「阪神の追っかけしてたから忙しかったとか言うんちゃうやろな」と罵られました。
私、公共放送職員ですよ。そんな偏ったことするはずない!そりゃ仕事ですから、9月15日甲子園にいましたよ。放送に間に合わないから早く帰ってこいというディレクターの数度にわたる留守番電話を聞かない振りして、胴上げの時間まで金網に張り付いてましたよ。18年ぶりですから、ジャーナリストとして当然でしょ。胴上げの瞬間、騒ぐと言うより泣いちゃいましたよ。ほろほろと。待ってたぞ、この瞬間を待ってたんや。ありがとうって。公共放送職員として正しいでしょ。
というわけで、このコラム間があいてしまってすみません。
ではここから、しっかりと。
阪神優勝の日、NHKニュース10に一番最初に星野監督生出演するはずだった。が、なにせ18年ぶりの優勝。いろんなことに時間がかかったようで間に合わず、出演は見送られた。そのかわりにということで、翌日、祝勝会で朝まで騒いだナイン達が疲れた顔で出てくる(しかし結構みんなちゃんとしてました。その証拠に勝っちゃいましたからね)甲子園球場に行って、星野監督にインタビュー。その時のお話が思いもかけず、哀しかった。
星野監督のその顔が、少し疲れたような、なにかすうっと抜けたように見えたのは、優勝へのプレッシャーから解放されたことと、実のお母様が亡くなられてまだ3日しかたっていないということもあったのだろう。以前、星野監督にお母様のことを聞いたことがあるが、まるで大切な恋人のように語っておられた。女手一つで3人の子供を育て上げ、その末っ子たった一人の息子には特に愛情を注がれたという。おいしいものも自分は食べなくても仙一食べなさいと。大学も行きなさいと。星野監督の中でも最も大切な人の一人だったのではないだろうか。そんな人が他界したのに、それを臆面にも出さずに指揮を執り続けた。
甲子園でのインタビューではそのことに、思い切って触れた。
***小さい頃から阪神ファンの監督の、縦縞の胴上げを誰よりも楽しみにされていたであろうお母様を優勝の2日前に亡くされた。なぜ黙っておられたのですか?
「俺は古い考えなのかもしれないが、これから戦いに行くところに、マイナスな死というようなことを出すのも嫌だったし、プライベートなことで戦意に影響するようなことは嫌だったから、当然、球団にも絶対優勝まで口外しないでくれって頼んだんだ」
***見せたかったでしょう。
「そうね、あとちょっとやからがんばってくれって、病院で言ってたんやけど、間にあわんかったなあ」
***お母さんには優勝の報告は?
「まだしてない」
***なんて報告されるんですか?
「お袋、やったよ、かな」
***なんて応えられるんでしょうね。
「さあ、よかったね、ようやったね、ぐらいじゃない?さっぱりした女やったから、江戸っ子でね。だから・・・。」
ナインも誰も気付かなかったという。
もし私なら、隠すにしても、態度に出てしまったんではないかと思う。誰にも気付かせず一人悲しみも抱えて、いつもと同じように戦っていた。優勝監督で「闘将」という言葉があちこちにあふれるほど書かれていて、なにか軽く感じるが、本当に闘うために生きている指揮官だなあと思った。
オフにはきっとその鎧を脱いで、最愛の母の墓前に立たれるのだろう。
そのときに、日本一の報告を一緒にもっていこうと、いまは思っていらっしゃるに違いない。
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