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古代ギリシアで開かれていたオリンピックをお手本にしたからなんだ。
◆暦を調節する時に行われる、重要なお祭りがオリンピック
オリンピックは、もともと8年に1度だったといわれている。もっとも、それは、今からおよそ2800年前、古代ギリシアでの話なんだ。
<Q09>でも話したけれど、古代ギリシアで開かれていたオリンポスの祭典(古代オリンピック)は、当時の暦(こよみ=年月日を数える数え方)と、とても密接な関係を持っていたんだ。
現在、私たちが使っている暦は、1年の長さを太陽の動きによって決めている太陽暦とよばれるものだ。それに対して、古代ギリシアでは、1ヶ月の長さを月の満ち欠けによって決める太陰暦とよばれる暦を使っていたんだ。
月の満ち欠け周期が、約29.53日なので、1ヶ月間を29日と30日にした月を交互にならべた12ヶ月(354日)を、太陰暦では1年としていた。その太陰暦では、太陽暦とくらべて、1年で「365日−354日=11日」の差がつくよね。そうすると、だんだん困ったことが起きる。季節が、ずれてきてしまうんだ。その季節のずれを調節するために、古代ギリシアでは、8年ごとに1度、3ヶ月長くなる、うるう年を作った。その3ヶ月間に、ギリシアの神々のオリンポス十二神をたたえる重要なお祭り、「オリンポスの祭典」が行われていたんだ。このお祭りが、古代オリンピックだ。
さて、3ヶ月をまとめて調節するのでは、季節がだいぶずれてしまうよね。だからきっと、8年ごとでは長すぎるということで、4年目に1ヶ月、次の4年目には2ヶ月、というように調節するようになったと思われる。だから、オリンポスの祭典も4年ごとになったんだ。そして、オリンポスの祭典から次の祭典までの4年間をオリンピアードとよび、年号として使うようになったんだ。例えば、今の西暦で紀元前490年のことは、「第72オリンピアードの第3年」とよばれていたんだ。
近代オリンピックの生みの親、フランス人のクーベルタン男爵は、これにならって、第1回大会の1896年を新しいオリンピアードの出発点として、それ以降4年に1度オリンピックを開催することにしたんだ。
◆近代オリンピックの理想となった「エケケイリア」
クーベルタン男爵は、どうしてオリンピックをはじめようとしたんだろう?
それは、クーベルタンさんの生きた時代と、古代オリンピックで「エケケイリア」とよばれた「約束」が、大きく関係しているんだ。
「エケケイリア」というのは、古代ギリシア語で、「剣の柄に伸ばした手を止める」という意味。その言葉が転じて、オリンポスの祭典期間中、戦争をしてはいけないという決まりになった。
古代ギリシア人は、ギリシア語を使い、オリンポスの神々をたたえ、ポリスとよばれる都市国家に属する自分たちを、「ヘレネス」とよんだ。一方で、他の言葉を使っていたり、オリンポスの神々を信じない他民族を「バルバロイ」とよんで区別していたんだ。同じヘレネスであっても、ポリスが違えばポリス同士で戦争することはあった。だけど、オリンポスの神々をたたえるお祭りの最中に戦争するのは、神様に対する大変な無礼として、「エケケイリア」が生まれたんだ。
だから、その決まりを破ると、オリンポスの神々を信じているヘレネスとみなされなくなり、交易を中止させたり、ほかのヘレネスの祭典にも参加できなくなるなど、バルバロイと同じ扱いをされる制裁を受けさせられたんだ。
一方、クーベルタン男爵の育った19世紀には、産業革命とよばれる、とても大きな社会の変化がヨーロッパ各地で進んでいた。その変化のなかで、ヨーロッパ各地で戦争が起きていた。クーベルタン男爵のフランスも、プロイセン(今のドイツ)と戦争をし、負けたんだ。その後、フランスではプロイセンへの「復讐」をあおるような教育が行われていた。それに疑問を思ったクーベルタンさんは、スポーツによる青少年の教育と平和な世界を築くための手段として、古代オリンピックと「エケケイリア」に注目し、近代オリンピックの開催に尽力したんだ。
◆テレビを通じて、地球共同体みんなのお祭りとなるオリンピック
古代ギリシア人にとって、最高に重要なお祭りが、古代オリンピック。でも、ギリシアを古代ローマ帝国が支配するようになってからも、ギリシアの神々を信じるかどうかにかかわらず、古代オリンピックは、ローマ帝国が支配する地中海地域に暮らす人々にとって、4年に1度の大きな楽しみになっていった。
それと同じようなことが、今、オリンピックに起こっているんだ。第1回のオリンピックが1896年に開かれたときには、ごく一部のヨーロッパ人だけが参加し、世界中のほとんど誰にも注目もされなかった。それがだんだんと、大きな大会になるとともに、テレビ中継が始まり、さらに衛星中継が行われるようになった。そこで、今では世界中のたくさんの人々が、テレビを通じて同時に、オリンピックというお祭りを楽しむことができるようになっている。つまり、テレビを通して、徐々にオリンピックは地球共同体みんなのお祭りになってきているんだ。
古代オリンピックの「エケケイリア」を理想として提唱されている「オリンピック停戦」も、長野オリンピックからは、実現するようになった。まだまだ「オリンピック停戦」の実現していることすら知らない人々も多いけれど、今後ますます多くの国や地域で、テレビを通じてみんなが同時にオリンピックを楽しむようになれば、「オリンピック停戦」に対する認識も広がるに違いない。そうなれば、オリンピック期間中に停戦をしないこと(戦争をすること)が、地球共同体の住人ではないとみなされるくらいの力を、オリンピックが持つかもしれない。それが、パラリンピック期間中にも広がり、ほかのスポーツ大会にも広がっていゆくようになると、オリンピックは、人種や宗教の壁を越えた真の「平和の祭典」になるだろうし、スポーツによる世界平和への道も開けると思うよ。
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