| 質問者:「デビッド/11歳」 |
| ◆ 体格の差に関係なく実力を出せるサッカー 5月31日から開催されたワールドカップの熱が冷めやまぬ間に、早くもジーコ・ジャパンが始動した。けれど、次回開催のドイツに向けて着々と準備を始めているのは、日本だけではない。前回のワールドカップ参加国はアジア、アフリカ、ヨーロッパ、南北アメリカなど、あらゆる地域から集まった32カ国。予選には、なんと193カ国が出場したとなると、4年後のサッカーの祭典にかける情熱は、どの国も一緒に違いないだろう。それだけでもサッカーがいかに世界的なボールゲームであるかがわかるよね。 まず、サッカー人気の理由として考えられるのは、サッカーがバスケットやラグビーのように、背の高さや体の大きさで得をすることがないスポーツだ、ということなんだ。 バスケットでは、背の高い人がどうしても有利になってしまうけれど、サッカーでは背の高さは関係ないね。脚でしかボールを扱ってはいけないというルールがあるために、背の高い人は高い人なりに、低い人は低い人なりに、自分の体型に合ったプレイをすることができる。かつて世界ナンバーワンのサッカー選手といわれたアルゼンチンのマラドーナは、身長が160センチくらいしかなかった。それでも素晴らしいプレイを見せた。 同様に、ラグビーでは体が大きければ得をするけれど、サッカーでは体の大きさは大切ではないね。つまり、どんな体格の人でも平等に楽しむことができるのが、サッカーなんだ。 また、何よりもボールひとつあればプレイできるという気軽さ。プレイするのにお金がかからないという経済的なことも、サッカーが世界中に広がっている大きな理由といえるだろう。野球は、サッカーと同じようにどんな体格の人でも楽しめるけど、道具を揃えるのに、どうしてもお金がかかるからね。なかなかサッカーのような世界的なスポーツにはなりにくい。 体格が関係ないことと、手軽にできること。この2つの理由に加えてもうひとつ、サッカーには人気の秘密がある。それは、地球の人類に共通する「ボール」の考え方が関係しているんだ。 ◆ボールゲームは古代の太陽信仰から生まれた 人類が誕生して約300万年。古代の人々は、自分たちの住む世界を太陽が支配し、太陽が神様であると考えていたんだ。太陽が昇ると地上には光が満ち、太陽が沈むと暗闇が訪れる。そのサイクルで人々が生きているのだから、光と闇を支配する太陽を信仰するのは、当然のこと。エジプト、メソポタミア、インド、中国、インカ(南米)、日本など、太陽信仰は、世界中で共通してみられる宗教なんだ。 太陽の形は、丸く、球体だね。人々は、太陽信仰のなかで地球上にある丸いものを太陽の代わりとし、「全世界を支配する象徴」と考えるようになったんだ。そして、その球体を宝物にしたり、球体をした物体で遊ぶようになったんだ。 ◆サッカーは古代メソポタミア文明。ベースボールは古代エジプト文明から 国王が安定して権力を握る、戦乱の少なかった古代エジプト文明では、国王が球体を棒で打ち、その飛び方によってナイル川の氾濫を占うという遊びが行われていた。 一方、民族同士の闘いが盛んに行われていた古代メソポタミア文明では、球体を奪い合い、蹴ったり、投げたり、転がしたり、手に抱えたりして、目的地まで運ぶという遊びが作られたんだ。球体の奪い合いは、全世界の支配権の奪い合いということ。球体には闘いで滅ぼした相手の頭がい骨が使われていたりもした、と言われているんだよ。 前者の古代エジプト文明の遊びは、「球を打つ球技」であるクリケットやベースボールへと発展することになる。 そして、後者の古代メソポタミアの遊びが、「球を転がし、目的地に運ぶ」という現代のラグビーやホッケー、そしてサッカーになったんだ。 ◆日本にも日本流サッカーがあった!? サッカーが最終的に現代のルールに整えられたのはヨーロッパのイギリスだけど、世界中に共通してみられる太陽信仰は、「サッカーのような遊び」を世界中で産んでいる。 南米の古代インカ帝国では、サッカー場にそっくりの競技場が残っている。サッカーによく似たボールゲームが行われていたと、推測されている。 日本にも、飛鳥時代に中国から伝わった打毬(だきゅう)と呼ばれる球技があったんだ。 2組に分かれ、木の棒を使ったり、脚で蹴ったりして、毬(まり)を相手の組の毬門(きゅうもん)に速く入れた方が勝ちというゲーム。馬に乗るかまたは徒歩で行われ、現代のポロ、ホッケーやサッカーといったところだね。 また、のちに天智天皇となる中大兄皇子と、のちの奈良時代や平安時代に大きな力を持つ藤原氏の最初の権勢を築いた中臣(藤原)鎌足が、それまで権力を握っていた蘇我氏を滅ぼした「大化の改新」という事件が645年に起こったことは歴史の授業で勉強するだろうけど、その「大化の改新」を行おうと、中大兄皇子と中臣鎌足が話し合ったのは、打鞠(まりうち)をしていたときのことだった、と『日本書紀』にも書かれている。 さらに、平安時代の終わりの源氏と平家の闘いを描いた『平家物語』にも書かれているよ。奈良の東大寺の坊さんたちが、鞠を平清盛の頭だといいながら、打ったり蹴ったり踏んづけたりして遊んだということが平清盛の耳に入り、清盛が激怒して東大寺を焼き払ってしまったというエピソードもあるんだ。 イタリアでは、サッカーのことを『カルチョ』と呼び、それはジュリアス・シーザーなどが活躍した古代ローマ帝国時代のボールゲームの呼び名を使っていて、「イタリアのサッカーには古い歴史があるんだぞ」と、イタリア人は誇ってるんだけど、日本のサッカーの歴史も、相当に長い歴史があるといえるんだ。 以上のことから、太陽の信仰から生まれたボールゲームは世界共通の遊びであり、ボールゲームのひとつであるサッカーが世界的に行われているのは当然のことだ、と言えるよ。 君がサッカーのボールを追いかけるのも、心の奥底に古代の人々から脈々と受け継いだ「太陽」への思いが残っているからかもしれない。 |