「サッカーもベースボールも外国からきたスポーツですが、日本独自のスポーツってあるのでしょうか?」
質問者:「祐一郎/11歳」

相撲や柔道や剣道など、個人戦の武道は古くからある日本独自のスポーツ。けれど、サッカーなどの団体戦はほとんど存在しなかった。

◆鬼ごっこはスポーツか?

子どものころから身近にある、野球やサッカー。それらは、明治時代に欧米から伝わったものであり、日本には存在しなかった競技だね。では、昔の日本人はどんなスポーツに親しんできたのだろうか?
でも、そのことを考える前に、確認しておかなければならないことがある。
「スポーツって何?」ということだ。これが、じつは少々やっかいな問題で、今も、スポーツという言葉だけでも、学者の数ほど定義が存在する、とも言われている。「何をスポーツと呼ぶか、何をスポーツとは呼ばないか」ということも、はっきりと決まっていない状態にあるんだ。
例えば、アメリカのスポーツ社会学者であるアレン・ガットマンは、「スポーツの基本は遊びである」という考えをもとに、次のような「スポーツの定義」を語っている。
彼は、遊び(play)がルールによって組織化されると「game(ゲーム)」となり、そこに争い(競争)という要素が入ると「(競技)」となり、その競技のなかで、主として身体を使うものを「スポーツ」と、定義しているんだ。
では、みんなも小さいころによく遊んでいた「鬼ごっこ」はどうだろう?この定義から、「鬼ごっこ」はスポーツと呼べるだろうか?
インドでは「ガバディー」という鬼ごっことよく似た競技があり、アジア大会などでも正式競技になっている。つまり「スポーツ」として存在しているんだ。けれど、日本の鬼ごっこはルールがちゃんと定まっているわけではないし、競技として成り立っているかどうかは疑問だ。また、お正月に遊ぶ「羽根つき(追い羽根)」なども同様で、正式な(誰もが認める)ルールが決まっているとはいえないね。
だから、ガットマンの定義によると「スポーツ」とは呼べないことになるんだけど、「スポーツとは、すべての遊びを指す」などという別の学者の説にのっとって考えると、「鬼ごっこ」も「羽根つき」もすべて「スポーツ」といえることになる。
驚く人がいるかもしれないけど、きちんとしたルールがないまま楽しまれている「山登り」や「ハイキング」、「魚釣り」や「狩猟」がスポーツなら、「鬼ごっこ」や「羽根つき」もスポーツといっても何もおかしくはないんだ。
でも、ここではガットマンの説にしたがって、競技としてのルールが確定しているものを「スポーツ」と見なすことにしよう。

◆飛鳥時代以前から存在した相撲
「何が日本の古くからのスポーツといえるか」というと、柔術、剣術、相撲などが挙げられるだろうね。なかでも、日本の国技といわれている相撲は、相当古くから存在したよ。
相撲は、モンゴルのあたりで生まれた格闘技(モンゴル相撲)が、中国を経て日本へと伝わったもので、中国ではすでに紀元前3世紀、秦の時代(前221〜前206)から盛んに行われ、漢の時代(前202〜後8)にはチョンマゲやまわしも、今日の日本の相撲に近い形になっていたというんだ。
日本では、『日本書紀』によると、飛鳥時代の642年、朝鮮半島の南部にあった百済(4世紀半頃〜660)という 国からの使者を接待するため、「健児」(全国から選ばれた兵士のことで、“ちからびと”ともいう)たちに 相撲をとらせたことが記されているので、それ以前に相撲が伝わったと思われる。
ちなみに、相撲のとり方は韓国には韓国相撲、モンゴルにはモンゴル相撲というように世界さまざまで、日本のとり方は独自のものだよ。
中国で角觝(かくてい)、角力(かくりき)とも呼ばれていた頭と頭でぶつかりあうものと、相手と組み合ってねじ伏せるもの(相撲)が混ざって誕生したとされてるんだ。だから、相撲には「相撲」と「角力」という、ふたつの書き方があるんだよ。

◆日本は団体戦が苦手??
また、日本独自のスポーツで注目すべきことは、相撲はもちろんのこと、柔術にしろ剣術にしろ、すべて個人戦であるという点だ。
ベースボールやサッカーのような団体戦は皆無といっていいほどない。まったく存在しないわけでもなく、たとえば大化の改新のころ、サッカーやホッケーのような「打毬(だきゅう)」というゲームがあった。それは、毬(まり)を棒で打ったり足で蹴ったりして、敵陣の門(ゴール)まで運ぶゲームだったんだけれど、そのゲームも次第に廃れてしまったことから、どうも日本人は、団体競技(チームプレイ)が苦手だったようにも思えるよ。
では、なぜ日本に団体戦が生まれなかったのかというと、これもスポーツの定義と同じく、はっきりとした定説はないんだ。
主な説を紹介すると、日本が農耕民族であり、比較的平和な地であったということ。
外国に目を向けてみよう。「民族の歴史は戦いの歴史にある」といわれるように、大陸に多くの国々がひしめきあっていたヨーロッパや中国では、自分たちの領土を獲得したり守ったりするために、土地を奪い合う争いが起きているね。
争いでは、犠牲を少なく勝利することが目的だ。そのためには、軍の統制が必要であり、さまざまな作戦を立てなければならない。「大きな目標に向かって、それぞれの動きを考える」ということが大切になってくる。つまり、サッカーのように、多様なフォーメーションを組んでチームプレイを行うゲームが生まれやすいということだ。

◆サッカーで日本人が変わる?
一方、四方を海に囲まれ、大陸と離れていた日本は、他国からの侵略を受けることなく、歴史を積み重ねてきた。村を形成し、そのなかで農業を営むという文化では、豊作という目的にむかって、同じ時期に田植えをし、収穫する。「みんなで歩調を合わせる」ということに慣れているね。日本人は団体行動が得意といわれているのは、稲作文化が成す集団意識が今も残っているからだろう。
けれど、「団体戦(チームプレイ)」は「団体行動」とはまったく違うものなんだ。
明治時代にサッカーやベースボールが伝わったときも、サッカーは嫌われたというより、理解されにくかったんだ。みんなで同じ動きをする「団体行動」に慣れている日本人にとっては、一人一人が異なる動きをするなかでチームとしてのまとまりを作り、ゴールを目指すという、サッカーのような「団体戦(チームプレイ)」を、理解しにくかったと思われるよ。
一方で、ベースボールは、大人気になっていった。それは、ピッチャー対バッターという個人体個人の闘いが主になっていたからだと考えられるね。
団体行動は得意でも、団体戦(チームプレイ)の理解に苦しんだ明治の日本人。だからといって、いまの日本人が「団体戦(チームプレイ)が苦手か?」というと、そうではないね。
小さいころからサッカーの練習をしている選手も多くなったし、そんな新しい世代の日本人は、チームプレイの意味を自然に理解できるはずだ。ワールドカップでの活躍は、誰もが日本の強さを認めることだろう。
将来、日本が世界一になる可能性だってあるだろう。そのときは、「日本人そのものが変わった」ということができるかもしれないね。

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