ソルトレイクシティーでは、フィギュアスケートやスノーボードなどの採点競技で、ジャッジングの問題がありました。審判の言うことは絶対聞かなければならないのに、なぜ、そんな問題が起こるのでしょうか?
質問者:「ユウナちゃん 13歳」

人間が採点する競技である限り、「誤り」や「不正」は、どうしても起こってしまう。むしろ、採点競技を「スポーツ」として扱っていいかどうかを考えるべきだ。

◆人間の手による採点競技であるかぎり、公平なジャッジングは不可能

 17日間にわたって行われたソルトレイクシティーオリンピック。今回も多くの感動を私たちに与えてくれたが、それと同じくらい、多くの問題が残されたオリンピックでもあったね。
  そのなかで、一番の問題といえるのがフィギュアスケートの採点問題。
  フィギュアのペアで、フランスの審判員がカナダに金メダルを取らせないために、わざとロシアに有利になるよう採点をした、といわれている。その結果、金メダルはロシアに渡ったけれど、不正が見つかってしまい、カナダにも金メダルが渡された。なんと金メダルが2つの国に渡るという、こんなことはオリンピック初めてのことだった。
  では、なぜこんなことが起こるのかという疑問が出てくるけれど、こればかりは、起こっても仕方ない問題と答えなくてはならない。人間が採点をする限り、絶対に100パーセント公正な評価というのは、ありえないのだから。

◆人間の感情が評価に出てしまう採点競技
 冬のスポーツ競技では、フィギュアスケートをはじめ、スノーボードのハーフパイプ、ジャンプの飛型点などが、審判の評価で行われている。審判も人間だから、いくらルールを厳格にしても、その審判の選手の好き嫌いや、国の好き嫌い、スポーツのスタイルの好き嫌いなど、審判の個人的な感情が、どうしても採点に影響してしまう。
  人間というのは、必ず感情がある。感情によって行動することがほとんどだよね。そんな人間が、公正に他人を評価するなんて、とうてい無理なこと。それは誰だってそうだし、人間である限り、仕方のないことでもあるんだ。
 さらに、フィギュアスケートには「美しさ」を点数化する「芸術点」(アーティスティック・ポイント)というのがある。
 それも審査するのが難しいよね。何を美しいとするのかなんて、それぞれの人間(審判)によって違うだろうし、各国や民族の文化、考え方によっても美しさの基準は違う。それが採点問題を難しくしている原因でもあるんだ。
 そうなると、考えなければならないのが、このような採点競技がスポーツ競技として適切かどうか、ということ。
  そのヒントを探るため、オリンピックの歴史をたどってみよう。

◆古代オリンピックで競われていた芸術競技
 オリンピックの前身とわれる、古代ギリシアのオリンポスの祭典。そこでは、陸上競技やボクシングやレスリングや馬車競走などのほかに、詩の朗読や音楽や演説などが、「芸術競技」として競われていたんだよ。
 なぜ芸術が競われていたかというと、芸術もスポーツも神さまを表現することから生まれ、オリンポスの祭典は古代ギリシアの神々を讃えるお祭りだったからなんだ。
 歌や詩、音楽などの芸術は、神さまの素晴らしさ、美しさを讃え、それを表現することから始まった。スポーツは神さまに近い、強く、美しい肉体を持つ者を選ぶために生まれた、といえるんだ。
 つまり、芸術もスポーツも神様につながる、同じような存在だった。だから、古代オリンピック=神さまのお祭りは、身体競技と芸術(精神表現)が同時に行われていたんだ。

◆廃止された近代オリンピックの芸術競技
 紀元前から始まった古代オリンポスの祭典は、1000年近く続いたあと、紀元394年になくなった(古代ローマ帝国が、キリスト教以外の宗教の祭典を禁じたからだった)。それから1500年の時を越えて、1896年から再び行われだしたのが、現在まで続いている近代オリンピックだ。
 近代オリンピックは、古代オリンピックを復活させようとしたものだった。かつて行われていた芸術競技は、同じように第5回ストックホルム大会から再現されたんだ。種目は建築、彫刻、絵画、音楽、文学(詩や戯曲)、都市設計など。
 けれど、近代オリンピックでは古代オリンピックのように、神さまを表現するためのものではないね。
 神さまと一言でいっても世界中から参加する国によって信じる神さまも違う。また、文化が違うと「何を美しいとするのか」の評価も違ってくるよね。つまり、あまりにも芸術の表現がさまざまなので、判定が不可能だということが、徐々にわかってきたんだ。そこで、1948年の第14回ロンドン大会を最後に、芸術競技は「芸術は判定をするものではない」として終了してしまうんだ。

◆採点競技に採点はいらない!?
 オリンピックは現在、芸術競技の代わりとして「文化プログラム」の「芸術祭」(アート・フェスティバル)が行われている。あまり知られていないのだけれど、オリンピック期間中は様々な芸術的イベントを必ず行うように、オリンピック憲章で決められているんだ。
 例えば、シドニーオリンピックでは、オペラ、バレエ、クラシック・コンサート、ジャズ・コンサートなどが、オペラハウスやコンサートホールで上演された。アニメフェスティバルでは、みんなもよく知っている「鉄腕アトム」や「もののけ姫」も上演された。長野オリンピックでは善光寺で能が行われたり、「オペラ善光寺」という創作オペラも上演された。さまざまな芸術が披露されてるんだ。
 そうなると、美しさを表現する採点競技は文化プログラムのひとつとして考えることができないだろうか?
 実力を認められた選手たちが、採点にとらわれずに自由に演技をする。人々は感動し、拍手を送る。その姿こそ、スポーツ・芸術の祭典にふさわしいのではないだろうか。
 今回のオリンピックでのフィギュアスケートでも、最も人気があったのは、競技を終えたあとに採点に関係なく行われるエキシビジョンだった。それこそ、採点競技を見直すための、何よりの「きっかけ」といえるんじゃないだろうか。

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