2002年9月21日、フランスリーグ所属オセールのギー・ルー監督は、いつも通りピッチ脇のベンチで試合を見守った。彼が1部リーグで指揮をとるのは、これで通算782回目である。そしてこの数字は、フランス1部リーグの監督として史上最多の試合を戦ったことを意味する。63歳のギー・ルーは、22年かけてこの記録を作り上げた。「今の若い奴が23年フランスで監督を続ければ、こんな数字は簡単に破られるだろうね」とは本人のもっともなコメントである。しかし、彼にはもっと偉大な記録がある。この先おそらく破られることのない、そして誰からも忘れ去られることのないであろう大切な記録が。

1951年からアマチュア選手としていくつかのクラブを渡り歩いてきたギー・ルーが、当時4部所属のオセールに「選手兼監督」として入団したのは1961年のこと。それから現在までの41年間、彼が同クラブの監督業から離れたのはたったの3回だけだ。63年に1年間徴兵された時、2000-01シーズンに監督業引退を宣言し同クラブのジェネラルマネージャーに就任した時、そして2001年末に入院した時(5試合休み)。つまり約40年間にわたって、彼はただひたすら、ただ一つのクラブ「オセール」のためだけに生きてきたことになる。監督がまるで消耗品のように簡単に交換されてしまう現代サッカー界において、ギー・ルーのこの記録はまさに宝物なのだ。

ブルゴーニュ地方の小さなアマチュアチームを、22年間一度も2部リーグへ降格させることなく、さらには欧州カップ戦に何度も出場できるほどの実力派クラブへと成長させたギー・ルー。指揮官としての手腕が確かなのはもちろんだが、むしろ特筆すべきは彼が1970年代に欧州のあらゆるクラブに先駆けてスタートさせた「選手育成センター」だろう。ちなみにオセールは「財政に穴をあけるくらいなら、降格した方がまし」という超堅実経営方針のクラブ会長ハメル氏(やはり40年前から会長!)の元、2002年現在でさえ1部リーグ20クラブ中16位という予算で運営されている小さなクラブである。有能な選手を買いあさることは、自然不可能。つまりオセールは自前で有能な選手を作り上げる必要にも迫られていたのだ。もちろん期待に違うことなく、ギー・ルー率いる育成センターはかつてカントナやブランを生み、現在でもシセ、カポ、そしてメクセスと代表クラスの選手を輩出し続けている。また2002年のオセール所属選手27人中、なんと15人が下部組織からの生え抜きだ。

「当時ギー・ルーに抱いていた感情は、愛と憎しみの両方。火花散るような関係だったね。今?もちろん、『愛』だけさ。」非常に印象的なセリフを残しているのは、ギー・ルーの「教え子」元フランス代表カントナ。そう、実はギー・ルーは、集団内の規律を重んじ、勝利に酔わず、時には選手を怒鳴りつけるなど、ひたすら厳しさを求める姿でも有名なのである。

さすがに最近は、前ほどは怒鳴らなくなったそうだ。ただし選手に対する情熱は衰えることなく、現在はどちらかというと「Vieux pepere(おじいちゃん)」ぶりを発揮。オセールのロッカールームには「上半身裸で歩き回らない」「濡れた髪のまま、外出しない」などと不思議な注意書きが張ってあるのだが、これらは選手たちが風邪を引いてしまわないための配慮らしい。実際、オセールの選手が試合直後に上半身裸でインタビューなどを受けていると、そっと背後から近づいてくるギー・ルーを目撃することできる。「裸だから、ダメダメ」とインタビュアーを叱り付けるか、もしくは選手の肩にそっとシャツをかける姿は、なんとも微笑ましい。

しかし、物事には必ず終わりがある。ギー・ルーがオセールを去る日も、いつか必ずやって来る。「T'en vas pas, Guy(行かないで、ギー)」――選手たちが今回の大記録を記念して、こんなCDをレコーディングしたのだが――といくら願ったとしても。

とはいえ、まだまだ大丈夫なご様子。なにしろ一旦引退した監督業に、たった1年で現場に舞い戻って来たばかりなのだから。「試合中のアドレナリンが恋しくなってね」と。

Reported by 宮本あさか in Paris

参考: 2002年9月10日付 
2002年9月22日放送
「FRANCE Football」誌
TF1 「TELEFOOT」
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