トラウマ

幼い頃、また以前のスポーツ経験は潜在的に心の奥底に残っていると言われます。努力した成果が実って記録を更新し時の喜び、できなかった技を何度も何度も繰り返し練習した結果、できるようになった時の感動、一進一退の緊迫したゲームでチーム一丸となった結果、最後の最後に得た勝利の歓喜・・・。

一方で、努力が実らなかった時の悔しい思い、何度も何度も繰り返し練習したにも関わらずできなくて流した涙、負けるはずのない相手に負けた自分の不甲斐なさに悔しくて眠れなかった夜・・・。

過去のスポーツ経験を回想すると様々な思いが甦ってきます。そして同時に過去の苦い経験はトラウマになって残っていることもあります。トラウマとは、ギリシャ語が語源であり、精神的な痛みのことです。(以前、「トラウマ」と聞くとトラとウマのくっついたちぐはぐな動物をイメージし、そのちぐはぐさから精神的な乱れのことを言うとばかり思っていました・・・・

現在、私も地に足のつくランニングこそ最も安心してできるスポーツですが、できる、できないは別として逆さまになったり、足元のおぼつかないスポーツに対しては恐怖心がつきまといます。過去の苦い経験がトラウマとなっているのです。

小学生の時、モントリオールオリンピックの器械体操で白い妖精と言われたルーマニアのナデイア・コマネチをテレビの映像で見てから(古い?)、すっかりその魅力に取りつかれ、器械体操の選手になると心に決めました(その後、バレーボールの選手になりたいと思うようになりましたが・・・・)。学校の校庭の芝生で逆立ちブリッジをしたり、庭に木材を置いて平均台の演技をまねたり。ところが、ある日、調子にのった余り、校庭の鉄棒から落ちて声が出なくなったのです。あっと思った瞬間に鉄棒から手が離れ、身体が空中に投げ出された後、地面に背中を強打しました。目の前が暗くなり、助けを求めても声が出ない・・・。運良く、しばらくしてから立ち上がり声も出るようになりましたが、その日から高いところに行くと「落ちるのではないか」という意識が潜在的につきまとうようになりました。

スポーツ活動をする上で過剰な恐怖心はその許容範囲を限定し、可能性を制限してしまいます。恐怖心が適度であればそれを克服した時の達成感は格別なのですが。

また、近くの公民館で開催されていた体操教室の一日体験に行き、「習わせて」と懇願した私に対して母は「危ないからやめなさい」と一言。その時、体操教室に通うことが私にとって良かったのかどうかわかりませんが、子どもを取り巻く人や、場所、設備などのスポーツ環境の影響は大きいように思います。

いよいよ、アテネオリンピック。選手の活躍に歓喜し、感動した子どもたちはスポーツ選手になることにあこがれを抱くこともあると思います。また、選手の一途な姿に感動し、刺激を受けて日常生活に喝の入る人も多いことも。

子どもにしても大人にしてもスポーツを身近に感じ、その可能性を支えられるような環境ができたら、また、スポーツに親しみ、関わる機会がたくさんできたら・・・。

アテネオリンピックが一つのきっかけとなることを期待しています。

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アテネオリンピックに関連して、私が所属するRunup(ランナップ)では、8月15日(日)18:30〜20:45、滋賀県大津市民会館小ホールにて、「アテネオリンピックを目前に・・・ ランニングについて語ろう!」というイベントを開催します。

私も、第一部『ランナーの食べ方』でお話をさせていただくほか、第二部パネルディスカッション『トップランナーとそれを支える人』、第三部会場参加者とRunupメンバーがQ&A形式で語る『ランニングについて語ろう』の3部構成になっています。

ご関心のある方は、FAX 077−596−8457までお問い合わせください。

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