「勝った瞬間の達成感をアテネで味わいたい」久枝円 久枝円
久枝円
Madoka Hisagae
フェンシング・アテネ五輪日本代表
プロフィール 

今年4月、フィリピン・マニラで行われたフェンシングのアジア・オセアニア最終予選女子サーブル個人で優勝、初の五輪代表切符を手にした久枝円選手。
大阪市信用金庫で働くかたわら、大舞台でメダル獲得を目指す女性騎士は熊本出身の25歳。金網のマスクに隠れた素顔は…。

文=城島充


恩師の一言が私をオリンピックに

―アテネ五輪出場おめでとうございます。ご自身の中でオリンピックを意識されたのはいつからですか

久枝 大学3年生の時にナショナルチームにはいって初めて世界のトップレベルと試合をしたんですが、その時に『ああ、このレベルで勝っていきたい』と意識するようになりました。サーブルという種目に転向してまだ一年しか経っていなかったんですが、世界のレベルでも絶対に頑張れば戦えるって。その頃からですね。

―フェンシングを始めたきっかけは

久枝 入学した高校(氷川高校)が熊本国体を控えた強化指定校で入学する前年にフェンシング部ができたばかりだったんです。中学時代は陸上部でハードルをやっていたのですが、その陸上部の一年上の先輩が一足先にフェンシングを始めていたので私もやってみよう、と。最初はもう『これはきついぞ』って思いましたよ。防具はへんてこだし(笑)、前に踏み出す形になる右半身の筋肉が痛むし…。もうやめようと思ったころに慣れてきて痛みも消えていったんですが、高校時代はどこかで『やらされている』感じがあったかもしれません。

―そんな感覚でしていたフェンシングを大学、社会人と続けてきたのはなぜですか。

久枝 恩師の影響が大きいですね。指導していただいたのは本田泰隆先生で、もともとは剣道をやってらっしゃった方です。中学時代に陸上をやっていたおかげで全身のバランスがとれているので鍛えやすいって言われたことを覚えています。高校時代はインターハイでベスト16(種目はフルーレ)だったんですが、先生はなぜか『お前は将来オリンピックにいける』と。それと高校2年の冬にベルギーで開かれた国際大会にカデ(14〜16歳)の部で出場したことも大きかったですね。アメリカの選手に思いきりやられたんですが、競技生活の合間にこうして世界を見れるんならこれからも続けてみようか、と思いました。

―そして、大学に進まれたのですね。

久枝 これも本田先生のアドバイスが大きかったです。当時、法政は女子選手がほとんどいなかったのですが、先生は『女子と練習するよりも男子とやった方がいい』と。実際、合宿なんかでも男子と同じメニューをこなしましたし、先輩後輩の上下関係もそれほど厳しくなくて自分にあっていたと思います。

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