原田雅彦

 原田雅彦に会うと、ホッとする。

 どんなに成績が悪い時でも、彼は笑顔で報道陣に接してくれるからだ。人徳だな、と彼に会うと、そんなことをいつも思う。

 ベテラン原田にとっても、まさかトリノ・オリンピックに出場できるとは思っていなかったのではないか。フィンランド人のユリアンティラ・コーチは、

「オリンピックには調子のいい選手を連れて行く」

と常々言っていたので、今シーズンは不調が続く原田にチャンスがあるとは思えなかった。

 しかし12月下旬に行われたコンチネンタル・カップで表彰台に立った原田は、彼にとって5回目となる五輪出場を決めてしまった。いやはや、運の強い男でもある。

 原田にはベテランになってなお、不安定ゆえの魅力がある。思い返せば、1994年のリレハンメル・オリンピックでは、団体戦で最後の最後で失敗ジャンプ、金メダルを逸した。1998年の長野オリンピックでも団体戦でドラマがあった。1回目は悪コンディションのまま飛び、失敗。しかし2回目に汚名返上とばかりに大ジャンプを見せ、日本に金メダルをもたらす原動力となった。まさに競技生活のピークは、オリンピックという大舞台にやってきたのだ。

 しかしそれ以後は、決して楽な選手生活を送ってはいない。ルール改正によって不利な条件で飛ばざるを得なくなったし、所属企業の不祥事があったため、原田自身もつらい思いをしながら現役生活を続けてきたのではないか。

 本来なら、とっくに引退してもいい年である。金メダルだって持っている。夢はかなった。あとは家族とのんびり過ごす時間だって持ちたいはずだ。

 推測ではあるが、原田は引退するにも、なかなか引退できない立場に立たされていた。北海道拓殖銀行の経営破綻に象徴されるように、ジャンプをバックアップしてきた北海道の企業が経営的に苦戦する中、企業は実績のある選手に強化を集中せざるを得なかった。実績のない若手に投資はできなかったのだ。原田はその期待にこたえるべく、ソルトレイクシティ・オリンピック以後、けなげに競技を続けてきた。

 今回のトリノ・オリンピックは、原田にとって「ごほうび」のようなものだと思う。メダルへのプレッシャーはそんなにはない。とにかく思い切って飛んで、不安定な原田の魅力を存分に発揮して欲しい。

 原田と同世代の人間としては、トリノでは納得のいくジャンプを飛んで、また微笑んだ顔を見せてくれたらいいなと思う。そして一言、おつかれさま、と声をかけてあげたい。

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