田臥勇太

 2004年、田臥勇太は日本人として初めて、アメリカプロバスケットボール・リーグの最高峰であるNBA、フェニックス・サンズのコートに立ってプレーした。

 開幕戦、彼の出番がやってきた時、胸が熱くなった。自分の中に感慨深いものが湧いたのである。なぜなら、高校時代の田臥くんの姿が思い浮かんだからだ。

 いまもはっきり覚えている。雪が積もった秋田県能代を訪ねた時のことを。その時は1月で、田臥くんはまだ高校2年生だった。3年生が引退して田臥くんは新チームのキャプテンになったばかりだった。

 高校1年生のときから名門・能代工業の司令塔であるポイントガードを任された田臥くんは高校バスケ界のスターになっていた(本人にはそんな気持ちはさらさらなかったけれど)。ちょうどその頃、彼の進路が大きな注目を集めていた。アメリカでプレーするのでは、という噂さえ流れていた。それは日本人にとっての願望だったからだ。

「そんなことは全然ないです。日本の大学に進学してプレーしようと思っています。アメリカに行くなんて、そんな甘いもんじゃないですよね」

 田臥くんはまったく謙虚だった。アメリカでプレーするなんてとんでもない、そう思っていた。しかし1年後、彼にチャンスが訪れた。アメリカの高校生オールスターに対抗する世界選抜の一員に選ばれたのだった。

 フロリダで行われたその大会で、彼はどちらかと言えば謙虚にプレーしていた。まだ自分の実力に自信がなかったのだろう。しかしこの体験が彼にアメリカでプレーすることを決意させたと想像する。彼はハワイの大学を進学先に選び、アメリカへ飛び立った。謙虚だった自分の殻を破ろうとしていた。

 そこから田臥くんは自分が実力を発揮できる場所を追い求めて様々な場所でプレーしてきた。ハワイから日本に戻って社会人リーグでプレー。そしてその次はNBAを夢見る若手がプレーするプロリーグに渡り、そしてついにNBAへの切符をつかんだ。残念ながら4試合しかプレーする機会は与えられなかったが、彼がNBAという最高の舞台でプレーしたことは歴史に残る。日本のバスケットボール界にとって、大きな里程標となる出来事だった。

 田臥くんは謙虚さを失っていない。謙虚だから高い目標を掲げてそれにジャンプするのではなく、階段を一段ずつ地道に昇っていく方法を選ぶ。

 取材をするたび、これだけ人間的な成長を感じられる選手はそうはいない。だからこそ、いつまでも彼を応援していたいと思うのである。

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