宮里藍

 2003年まで、日本の女子プロゴルフ界は風前の灯だったといっていいだろう。しかし事態は一変した。宮里藍というひとりのヒロインの登場によって、がぜん注目を集め始めたのだ。
 宮里は1985年に沖縄県で生まれた。父の優さんはゴルフのインストラクター。もちろん3人の子どもたちにゴルフを教えた。長男の聖志さん、次男の優作さんはともにプロゴルファーとして活躍している。
 このようなゴルフ一家に生まれた宮里は、4歳からゴルフを始めた。現在のスポーツ界の潮流は「いかに早くスポーツを始めるかが大成への鍵」と言われている。4歳からクラブを持つことで、ショットの感覚が磨かれると言われている。しかも沖縄という土地にも恵まれ、日が長いから学校が終わってからでも練習ができる。プロゴルファー宮里藍の礎は沖縄で築かれた。

 そして長女・藍の才能は早いうちから知られることになった。プロツアーへのデビューは、2000年のサントリー・レディース。なんとこの時の年齢は14歳で、まだ中学2年生だった。しかもただ出場しただけではない。23位タイに入り、アマ2位の好成績を収めた。
 そして彼女が大きなブレイクを果たしたのが2003年。日本ジュニア(女子15歳から17歳の部)で優勝を果たし、それにとどまらずプロツアーのダンロップ女子で、なんと高校2年生で優勝を飾る。この快挙を受けて2003年の10月にはプロに転向、いよいよ本格的に頂点を目指す戦いが始まった。

 彼女の優勝で、女子プロゴルフ界はそこから活況を呈した。宮里は期待を裏切らず、2004年も5勝をあげ、獲得賞金も1億円を突破。年間賞金女王の座をツアー最終戦まで不動裕理と争ったが、惜しくも年間2位に終わった。
「惜しくも」という表現を19歳の選手に使わなければいけないのが、すごい。プロに転向して約1年のプロならば、「よくやった」という表現を使う方が適切かもしれない。しかし宮里にはこれまでの日本人選手にはなかった可能性が感じられるからこそ、「惜しくも」という表現を使いたくなってしまう。
 最終戦の不動との争いでは、
「ゴルフで初めて心臓が口から飛び出しそうになるほどドキドキした」
というほど緊張したようだが、「充実感でいっぱい」と2004年のシーズンを振り返った。
 宮里は日本に収まる器ではない。日本で女王に輝いた後は、きっと世界のラウンドで彼女の力を見せてくれるに違いない。そして世界の頂上さえも狙えるかもしれない。
 取材陣にも気さくに応じる宮里。愛くるしい笑顔は彼女の魅力である。
 どこまで遠くに行ってくれるのか、楽しみで仕方がない。

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