
________10月22日
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■世界選手権を間近に控える冨田洋之選手。3回にわたって冨田選手の今日までの軌跡、体操に対する思い、素顔などを小見出し付でまとめます。第1回は今日までの軌跡編です。
■体操を始めたきっかけは母親
小学校3年生のときに、近所の人たちといっしょにということで、母親に勧められて。「体を動かすことは好きで、体育は得意だった」ので、体操クラブに通うのはとても楽しかった。兄は野球をやっていたので、野球にも興味はあった。
■小3の終わりから本格的に練習
初めは週2回のペースで近所の友達と通っていたが、3年生の終わりからは電車に乗ってクラブの本部まで週4回通うペースに変わった。休みは水曜日と土曜日。体操の練習が本格的になってくると、「他のこともやりたいな」と思ったこともあったが、体操を辞めたいと思ったことは一度もない。関西ジュニア大会などの大会には小5、小6と出場したが、入賞を狙うというより、怪我をしない程度にやれればいいという感じだった。
■中学校に、体操部がなかった?!
中学校の部活動に体操部がなかった。練習はクラブで行なえばいいが、中学校の体操部に所属していないと大会には出られなかったため、中2のとき、親といっしょに校長先生にお願いして名前だけでもと体操部をつくってもらい、そこに所属しているという登録をしてもらった。中3で全日本中学生大会(全中)に出場し、全国11位。このころから「鉄棒」は好きな種目で、「床」が苦手だった。
■名門、洛南高校に進学
体操の名門と言えば、大阪の清風高校が有名で、中学時代に冨田も何度か練習に行ったことがあったので清風高校進学を考えていたこともあった。が、通っていた体操クラブの先生の知り合いが京都の洛南高校にいて、そちらへの進学を薦められた事もあり、洛南高校へ進学。
■インターハイで個人総合2連覇
高校1年のインターハイは個人では11位。高校2年の京都インターハイは個人では総合優勝したが「団 体戦で優勝を狙っていて負けてしまったので、個人優勝の方も素直には喜べませんでした」。高校3年生のときは、個人総合で2年続けて優勝。「団体の方もメンバーが3年生の自分以外は2年生という若いチームだったんですが、規定だけでもトップに立てたし、精一杯みんなでがんばって団体3位に入れてよかったなぁという感じでした。翌年はそのメンバーが団体で優勝してくれたこともうれしかったですね」。
■洛南OBが多い、順天堂に進学
「高校の先輩が順天堂大学には多く進学していたこともあり、練習に行ったこともあったので体操部の雰囲気はよく知っていました。とても自主性を重んじるというか、強制ではなく主体的に練習をされているなぁという印象がありましたね。高校の体操部がけっこう厳しいところだったので、順大のこの雰囲気には惹かれました。進学して実際に体操部に入ったとき、みなさんの体操に対する意識の高さがすごいと思いました。僕も高校時代はただがむしゃらに練習しているようなところがありましたけど、今は一つ一つ考えながら取り組んでいます。順大に来て、体操に対する考え方が変わりましたね」。 2000年の全日本学生選手権(インカレ)は個人総合優勝。
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