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北京ユニバ体操
個人総合で銀メダル
初の世界選手権出場に向け
躍進中 |
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冨田洋之
(とみた・ひろゆき)
1980年11月21日生まれ。O型。京都洛南高校時代は、2年生の京都インターハイで団体2位
、個人総合優勝、3年生の四国インターハイで団体3位、個人総合優勝。順天堂大学に進み、インカレ等で活躍。2001年5月東アジア競技大会個人総合で銅メダル。6月のNHK杯で2位
となり、北京ユニバーシアードに出場。大きな国際舞台は初めてだったが、個人総合で銀メダル。種目別
では、平行棒で優勝、つり輪で3位を受賞した。10月28日〜11月4日までベルギーで開催される、第35回世界体操競技選手権に日本代表として出場予定。
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「彼の最大の持ち味は、体操がキレイということなんですよ」
冨田洋之を指導している、順天堂大学体操部の加納稔監督が、端的に彼を評してくれた。
最近の日本体操界といえば、「二世選手」と呼ばれる塚原直也、笠松昭宏選手らの活躍に注目が集まっていたが、彼らの約2、3年ほど後輩にあたる冨田がこのところめきめきと力をつけてきている。インターハイでは体操の名門、洛南のエースとして、個人総合2連覇を達成。順天堂大学に進み、今年6月に行なわれたNHK杯の個人総合では塚原に次ぐ2位
に入って、8月の北京ユニバーシアードと10月に行なわれる世界選手権への出場権を同時に得た。シドニーオリンピックの翌年。体操界期待の若手選手が、ついに国際舞台へデビューすることとなったのだ。
その前哨戦とも言える5月の東アジア競技大会では、冨田は個人総合3位
となり、同大会の個人総合では、日本体操界初の銅メダルを受賞した。種目別
では平行棒で優勝、つり輪で3位に。その活躍を機に彼への評価は一気に高まっていった。
「東アジアの冨田を見て、この夏の北京ユニバーシアードが楽しみになりました。彼にとって初めての国際舞台で、どこまでやれるのか。ふだん通
りにできれば、かなり活躍してくれると期待しています」
加納監督はその期待の根拠に、冒頭の一言のように、「体操の美しさ」をあげた。
「体操の国際大会では、”技の難易度”志向が強かったんですが、4年に1度のルール改正で、今までより美しさに重きが置かれるようになったんです。指導者は選手に難しい技をマスターさせることに精一杯になっていて、体操の基本でもある美しさを、ないがしろにしていたつもりはなくても、どこか忘れていたようなところがあった。その点、冨田は小さいころから、いい体操をする選手として育てられてきた。彼の美しい体操を、うまく新しいルールに生かしてくれたらと思っています」
監督の冨田への期待は、ユニバーシアード世界大会で個人総合2位
という結果で結実した。シドニーオリンピックの個人銀メダリストの楊威(中国)には及ばなかったものの、冨田は世界大会のデビュー戦の最終種目のつり輪で高得点をあげて、2位
の塚原に同点で並び、銀メダルを獲得したのだ。
そのユニバが行なわれる前、順天堂大学に冨田選手を取材した。夏休みの大学構内。森閑とした校舎と対照的に、体育館とグラウンドからは元気な体育会の選手たちの声が響いている。体操部の体育館内の専用コーナーは、バレーボール部の奥にある。半開きになった扉の奥に、マットや鉄棒が見えた。体操部ではおなじみの、すべり止め用の炭酸マグネシウムの匂いがほのかにたちこめている。
午前中の練習を終えて現れた冨田選手は、どちらかと言えばあまり取材慣れしていない感じの、それほど口数が多くはない選手だった。こちらの質問に、ポツリ、ポツリとまじめに言葉を返しながら、「今イチバン欲しいものは?」というような閑話休題には、ちょっとうれしそうな表情で「クルマですね。すごく欲しいんですけど、アルバイトとかできないし」と普通
の大学生の素顔になって答えてくれた。
体操王国日本。栄光の時代の選手たちの演技を、冨田の世代の選手たちはほとんど見たことがないという。具志堅幸司が個人総合で金メダルを獲得した、84年のロサンゼルスオリンピック以来、日本体操界には個人総合のメダリストは生まれていない。お家芸復活というより、冨田たちの世代は、独自に新たな日本の体操の強さ、魅力を生み出し、のびのびと世界に挑戦していく新世紀の日本体操界のパイオニアになるのかもしれない。
「冨田に必要なのは、あとは欲だけ。今年の国際大会で、いい結果
を出して高い目標をめざすようになってほしい」(加納監督)
ユニバの銀メダルを糧に、10月の世界選手権に挑む冨田に注目したい。 |
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