________03月24日

04/05
金メダルを“まぐれ”にしたくないんです。
03/24
心理作戦が功を奏してアジア大会優勝。
03/18
占いが的中?!練習中にアキレス腱断裂。
03/13
性格は典型的なB型だと思います。




 
  世界レベルの大会で勝ちたい、なんてことは昔からあまり考えたことがありませんでした。「そういうところで戦う選手とは、持っているものが違う」と思っていましたから。私はどこか漠然と競技をしているようなところがあって、目標はその都度、周囲が与えてくれてきたんです。強い選手と対戦するのがとても刺激的でうれしくて、他の選手より、楽しんでバドミントンをやっている気がしました。
 小島先生に「アジア大会の選考会があるから、それに照準を合わせて練習するぞ」って言われたとき、そんな大きな大会だとは思っていなかったんです。広島のアジア大会のころ、インドネシアの強い女子選手に、日本選手が勝ったというニュースを聞いたことがあるなぁと思い出したくらいで。選考会に勝って、壮行会みたいな式で、日本代表のスーツをもらったころから、いつものバドミントンだけの国際大会とは違うと思うようになってきました。

 そしてタイのバンコクに渡り、実際に開会式に出てみたら、初めて「えーーっ、すごい大きな大会だったんだ!!」と驚いてしまって。もうそれだけで「アジア大会に来れてよかった」って、感動してたんですよ。  試合が始まり、1回戦に台湾の選手と当たってフルセットで勝ちました。次の対戦相手は世界ランキング1位の中国選手。1セットめは0点で取られました。完全に相手のペースにハマッて、押さえられてしまったと思う一方で、ラブゲームでしたがタイミングさえ合えば、ラリーにはついていけるという手応えもあったんです。2セットめ。体育館には冷房が入っていたんですが、その冷気の風向きが、ほんの少し相手に攻撃しづらいように感じました。それで相手が決めようと思って打ってくるのを粘り強く、拾い続けられるようになり、向こうがだんだん焦り始めたんです。1セットめを0点で取り、格下の私には簡単に勝てると思っていたんでしょう。その油断につけこんで、相手の決め球を拾っていくうちに崩れてくれたんです。相手の心理を読んで、向こうが焦ること、嫌なことを仕掛けていくというのが、監督からいつも教えてもらっている駆け引きです。
 2セットめを私が取ると、向こうの方が緊張しているのがわかって、最後は前に上がってきた相手のうしろに私が打って試合を決めました。その瞬間はスローモーションのように見えたんですよ。信じられない勝利に、頭の中がしばらく真っ白になりました。
 準決勝は地元のタイの選手。応援はものすごいはずです。こういうときは何が起こってもおかしくない試合になることがあります。自分も「せっかく世界1位の選手に勝って、ここで負けたくない」という思いもあり、とにかく相手をのせないことを心掛けて、終始自分のペースで一気に押し切りました。ストレート勝ちです。

 決勝の相手は世界ランキング3位の中国選手。向こうは私には勝ってあたりまえの選手です。ゆえに相手の方が緊張しているのがわかりました。中国としても1位の選手が負けていましたから、私に負けるわけにはいかなかったと思うんです。1セットめは激しいスマッシュの打ち合いになって、1対11で打ち負かされました。
 会場には、世界1位に私が勝ったということで、バドミントンにはめずらしいほどの、大勢の日本の記者が来られていました。2セットめが始まる前「このまま負けたらなんて書かれるんだろう」とふと考えました。「恥ずかしい試合だけはしたくない」。そう思ったら、精神的に開き直ることができたんです。
 向こうは勝ち急いでくるはず。だったら自分から仕掛けてミスをせずに、安全なところに入れて粘ろうという、徹底的に守りまくる作戦に変更することにしました。もちろん、ドロップで意表を突いたり、左手前のラインを狙ってプッシュしたり、ストロークに強弱をつけて、自分なりに技は使いましたが。すると前々日に1位の選手に勝ったときと同様に、2セットを私が取ることができたんです。

 3セットめはさすがに向こうも立て直してきて、3ポイント連続で取られて3対4と逆転されたときはピンチでしたね。守り型で試合をすると、ラリーが長くなるんですけど、それで決められると、よりガクッと来るんですよ。「こりゃ負けるだろう」って思い始めたとき、現地の日本人の方々がものすごく応援してくれたんですよ。苦しいシーソーゲームを応援に助けてもらいました。相手のサーブだったんで、早くシャトルを渡さなくてはいけなかったんですけど、ゆっくり深呼吸して、その場でステップしたりして、少し焦らして、自分のペースに態勢を整えてみたりしました。そうしたらだんだんまた拾えるようになって、応援に後押しされるように相手がミスをしてくれるようになったんです。
 最後は、相手が打ったシャトルが、私のうしろを抜いて、ラインを割ってアウトになったんです。その瞬間はもう「わーーーっ」という感じでしたね。
 98年12月にこうしてアジア大会のシングルスで優勝することができたんですが、ただ、純粋に嬉しいと思えたのは、勝った瞬間だけだったと、すぐ思い知ることになりました。
 次回は、アジア大会後から、今の心境についてお話したいと思います。
 
 

 
  KANAKO'S KEYWORD

■伊達公子さん
競技は違いますが、世界のトップ10に入りたいという目標を持って、信念を貫き通して活躍されているところがすごいなぁと、ずっとあこがれていました。先日出版されたフォト・リアルエッセイ集の『In&Out』も、すぐ買って読みました。いつかお会いしてみたい方です。

■携帯ストラップ
友人に名前入りのビーズをつくってもらったのを愛用しています。本当は私の所属する茨城トヨペットがお客様に差し上げている、「ダンシング・ベイビーのキャミィ」(トヨタのクルマのCMのキャラクター)が欲しいんですけど…。お客様用ですからね…(残念)。

===ワンポイント・メモ=====
米倉選手は28年ぶりに、アジア大会で日本の女子シングルスに金メダルをもたらしたが、28年前の金メダリストが新沼謙治さんと結婚して話題にもなった湯木博江さんだった。
 
 

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