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驚異の"読み"を武器に
世界のトップ10入り。
初の五輪に挑む、
アジア大会金メダリスト
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応援メッセージが届いています。
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米倉加奈子(よねくら・かなこ)
1976年10月29日東京都小平市出身。B型。166センチ。兄、姉の3人きょうだいの末っ子。小学校3年生からバドミントンを始め、立川八中時代、全国中学校大会で優勝。茨城の常総学院に進み、つくば国際大学社会福祉学科卒業。大学時代は全日本学生選手権3連覇。98年アジア大会では世界ランク1位
・3位を撃破してシングルス優勝。99年4月に茨城トヨペットに就職。OL生活を送りながら国際大会を転戦中。世界ランクは3月2日現在10位
。4月末時点で28位以内であればシドニーオリンピックに初出場となる。
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●取材現場からWRITER´S VOICE
文・小川みどり
世界ランク1位を破ってアジアの女王に。
驚異の"読み"で世界の強豪に競り勝つ。。
予見する能力に長けている。対戦相手の放つショットを瞬時に読み、心理面
での弱点を見抜いて、じわじわと攻めていく。強い選手ほど弱点を見せるのに時間がかかるものだが、我慢比べには自信がある。たとえ1セットめをラブゲームで失ったとしても、粘りに粘って小さなスキを見つけだし、そのわずかなほころびから相手の弱さを引きずり出してしまうのだ。
米倉選手のそんな持ち味がもっとも発揮された試合が、98年12月のアジア大会だった。準々決勝で対戦したのは、世界ランキング1位
の中国選手。当時、28位前後のランクだった米倉選手が勝てる相手ではなかったが、序盤の劣勢を逆転し、フルセットのラストポイントを決めたのは米倉選手の方だった。最後の一打は、まるでスローモーションのようにゆっくりと見えたと言う。それほどまでに集中していたのだろう。
予想外の大金星。試合終了と同時に頭の中は真っ白になり、数秒間の放心状態を経て、勝利の実感と喜びが込み上げてきた。が、浮き足立ってはいられない。さらに気を引き締めてのぞんだ準決勝で、タイの選手をストレートで下すと、決勝では世界ランキング3位
の中国選手に再度逆転勝ちをおさめた。
中国選手の独壇場になるだろうと目された大会で、日本のバドミントン界(女子シングルス)に、28年振りの優勝をもたらした米倉選手に、マスコミの関心は一変した。バドミントンの試合会場には今まで一度も足を運んだことのなかった記者たちの姿が見られるようになり、取材の要請が相次いだ。
世界レベルの結果を出した選手に訪れる次なる試練の一つは、「より煩雑になるマスコミへの対応」。そして「結果
がフロックと言われないために、できるだけ早いうちに、再度結果
を出さなければと焦る気持ち」が二つめの試練となる。せっかく大きな大会でブレイクしても、後が続かない選手の多くは、慣れない取材に疲弊して本来の生活リズムを崩してしまったり、勝ち急ぎの気持ちから練習過多を招いて体を故障してしまうという状況に陥りやすいのだ。
米倉選手もまた、大会直後はそんな試練に苦しめられた選手の一人だったかもしれない。が、心理面
を重視した指導に定評のある小島一夫監督の指導のもと、さらに心身のタフさを増し、3月2日現在の世界ランキングでは、10位
まで順位を上げてきた。この順位はシドニー五輪出場の十分な射程圏内にある。
「取材は苦手」というコメントの紹介された記事を目にしたことがあったため、いつもより幾分緊張した面
持ちで待ち合わせ場所の「つくばセンター」に向かう。そこに現れたのはスラッと背の高い、やさしそうな女性だった。
「私って典型的なB型なんですよ」。バドミントンにまつわる質問に生真面
目に答えてくれる一方で、ときどき話は楽しい方向へと広がっていく。こちらの意図をくみ取って、的確に、より興味深く会話をリードしてくれる、その緩急織り交ぜた話ぶりは、多彩
な攻防で敵(?)を翻弄するバドミントンのラリーのようだ。
苦手というよりむしろ取材巧者の印象を受けた。コートの外でもこちらの心理を繊細に読み、全力でこたえてしまうために、人一倍気を使ってしまうのだろう。大切な試合の前は、取材で集中を乱されたくないという気持ちが、「苦手」という言葉にこめられていたのかもしれない。今回の取材直後に行われたスウェーデン国際では無事、優勝。よかった、取材が邪魔にならなくて…。
米倉選手の場合、シドニーオリンピック出場に関係する試合は、4月上旬開催のヨネックスオープンジャパンを残すのみ。今回の連載を読んで興味が沸いた方は、米倉選手のバドミントンを一度ぜひ応援&観戦に行ってみてください。
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