立合いの当たりと
スピードを磨き、
初土俵から三年半で
大関に昇進。
出島関の声
応援メッセージが届いています。
出島 武春
(でじま たけはる=本名同じ)

1974年3月21日石川県金沢市出身。A型。179センチ。159キロ。武蔵川部屋。森山スポーツ少年団で相撲を始め、鳴和中学、金沢市立工業高校、中央大学を経て、96年武蔵川部屋に入門。幕下付け出しで春場所(大阪)でデビューし、97年同じく春場所で新入幕。途中怪我による休場を経て、99年7月の名古屋場所で大関に。学生相撲出身では4人目の大関。同郷の先輩力士には、「本名と四股名が同じ」「学生相撲出身」と共通 点の多い、元・横綱輪島がいる。得意は突き・押し。優勝1回。三賞は殊勲賞3回、敢闘賞3回、技能賞3回。
<Update 03/02>

03/02 武士の心構えを持って、努力していきたい。
02/25 体をケアする大切さを知った97年の大怪我。
02/14 大学の授業中に居眠りをしなかったのは…。
02/07 大関と呼ばれても最初はピンときませんでした。

●取材現場からWRITER´S VOICE  文・小川みどり
大怪我を克服したことで心身共にパワーアップ。
穏やかな顔の下の、不屈の闘志が大関昇進の原動力に。


 電光石火のような立合いで、相手に低く鋭く当たって密着し、そのまま一気に土俵際に追い込んで、押し出す。これが出島の相撲だ。96年の春場所(大阪)に、幕下付け出しで初土俵を踏んで以来、常に自分の相撲にこだわり、立合いの当たりとスピードを磨き続けることで、着実に番付を上げてきた。
 99年の名古屋場所は、貴乃花、曙の両横綱らを圧倒的な強さで粉砕して初優勝。殊勲、敢闘、技能の三賞を総ナメにしたばかりか、13勝2敗という勝ち星が、先場所、先々場所の勝ち星と足して33勝となり、大関昇進までものにした。
 土俵上で仕切りを繰り返すにつれて、色白の肌がほんのりと薄桃色に変わっていくのがわかる。体を叩いたり、相手をにらみつけたりして闘志をあらわにするタイプではない。一瞬の出足に最大限の力を発揮するために黙々と集中度を高めている。土俵脇で、軽く足首を回し、簡単なストレッチを怠らなくなったのは、97年冬の九州場所で左足首を骨折してからだ。患部をボルトで固定する大手術を受け、2場所続けて休場したときは、「もう二度と土俵に上がれない、歩けなくなるのではと思った」という。過酷なリハビリが、大関昇進への第一歩となった。

 出島の生まれ育った金沢は、昔から相撲が盛んなことで知られ、土俵のあるお寺や公民館、学校も少なくない。父親が相撲経験者ということもあり、出島は小学校に上がってすぐ、地元の相撲スポーツ少年団に入った。初出場の大会で優勝。2年生のときは地区大会の4年生の部に出場してベスト8に。負け試合の後はワンワン泣くような、負けず嫌いの少年だった。
 県大会3位という実績をひっさげて地元の中学に進んだ春、相撲の指導に定評のあった森山監督が教師として転任してきた。基礎を徹底的にたたきこまれ、中3の県大会で優勝。全国大会では宿敵柳川(現・増健)に破れ準優勝だったが、1週間前に40度以上の高熱を出して倒れ、ドクターストップがかかっていたという逆境下での活躍に、周囲は「ただものではない」という予感を抱いた。
 高校は県下の相撲の名門金沢市立工業高校へ。浜野監督の指導で2年生の冬から飛躍的に強さを増し、3年生のインターハイでは柳川にリベンジして“高校横綱”のタイトルを獲得。その後国体の強化合宿中に左足首の三角靱帯部分断裂という怪我を負ったものの、1か月の療養の間に心身共にパワーアップして復活。国体では期待通 りに団体優勝の重責を果たした。
 大学進学の際は、両親と意見が悔い違ったが最終的には、本人の希望で中央大学に決定。しかも法学部法律学科という難関の学科を選び、六法全書片手に、相撲道に精進するという文武両道の大学生活を送ることに。1年生の5月に試合相手の指が左目に入って、網膜剥離寸前の重傷に見舞われたがそれもまた克服。レギュラー出場したインカレ団体戦で、中央大は34年振りに優勝。在学中には実に11タイトルを勝ち取った。
しかし出島には悔いが残っていた。“学生横綱”“アマ横綱”の2大タイトルを逃していたからだ。
 結局、この「やり残した思い」が出島にプロ入りの決意をさせる。初土俵後は6場所(1年間)で新入幕。初の幕内の場所でいきなり11勝して、敢闘、技能賞を受賞。幕内4場所めでは両横綱から金星をあげて殊勲賞、技能賞をもらい、当時歴代2位 の早さで三役入り。髷が追いつかないほど順風満帆な出世街道をひた走っていた。
 プロ入り初めての大怪我を負ったのは、まさにその初の三役の場所。天国から地獄へ。だが、今までの相撲歴からもわかるように、力士生命を脅かすほどの大怪我をして、逆境に突き落とされたことで、出島は並外れた強さを身に付けてきた。彼を育ててきた指導者たちは、異口同音に「稽古熱心」「一見優しそうだが、勝負度胸と図太さは折り紙つき」と評する。
 東京・鶯谷の武蔵川部屋に、取材に訪れた我々を、気さくに出迎えてくださり、土俵脇の畳に大関が自ら、座布団を敷いてくださった。バリトンのきいたよく通 る声で、終始穏やかな笑顔を浮かべて、会話はなごやかに進む。相撲は格式の世界と言われるが、角界にそれほど明るくない我々に焦れる様子も見せない。よりよくわかるようにと、ていねいな解説を添えて話してくださる姿に、優しいお人柄がうかがえた。
 このコーナー始まって以来の男性の登場。「若きアスリート」というコーナー名は、角界の大関にはそぐわないかもという懸念もあっが、パソコン好きで知られる大関は、当サイトの画面 (プリントアウトしたもの)を楽しそうに眺め、「たくさんの方に相撲に興味をもっていただきたいので、僕でよければ何なりと答えますよ」と取材を快諾してくれた。

 土俵の裏話などを含め、硬軟取り混ぜた出島関の日常を1か月にわたってご紹介します。大阪場所を3月に控えた出島関に、どしどし応援メッセージを書き込んで下さるよう、お願いいたします。

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