シドニー五輪卓球
日本代表の19歳。
約一年で世界ランク
120位から 28位へ。
小西杏の声
応援メッセージが届いています。

小西 杏
(こにし あん)

1980年12月16日東京都世田谷区生まれ。A型。160センチ。50キロ。全日本選手権ホープス優勝。淑徳学園中時代は、全日本カデット、全国中学校大会で優勝。大阪の四天王寺高校に進み、全日本ジュニア、インターハイで優勝。高校3年生で全日本選手権3位 。アジア大会団体戦で当時世界ランク2位の李菊(中国)にストレート勝ち。99年4月ミキハウスに入社。イングランドオープンでは、世界ランク8位 の何千紅(ドイツ)を、クロアチアオープンでは準優勝を果たすなどして、世界ランクは98年12月の120位 から、2000年1月7日現在まで28位と急上昇した。シドニー五輪日本代表にすでに決まっている。
<Update 02/01>

02/01 試合はごはんを食べながら見ないで下さい!?
01/28 壁にぶつかって初めて見えたものがありました。
01/22 小学校の卒業文集に書いたのは…
01/17 卓球のCMを家族で見て盛り上がりました。

●取材現場からWRITER´S VOICE  文・小川みどり
高い意識とタフな精神力で急成長
シドニー五輪ではメダルを狙いに


 卓球さえあれば、今は他に何もいらないと言う。卓球が好きで好きでたまらないのだとも。 98年12月のアジア大会で、世界ランク2位の選手を破る大金星を上げた。当時の世界ランクはまだ120位 に過ぎなかった高校3年生の小西杏は、この試合を皮切りに、99年の国際大会で次々と上位 ランク選手を打ち負かしていった。
 2000年1月7日現在の世界ランクは28位。昨夏の世界選手権の結果 で、小西はすでにシドニー五輪の日本代表に決定している。あと1つランクを上げれば、五輪のシード権さえも確保できるという。たった1年のうちに、小西は世界でのポジションをここまで上げてきたのだ。

 雑誌のインタビューでは、いつも強気な発言がめだつ。
「オリンピックの金メダルは、"夢"ではなくて"目標"」
「群れるのは嫌い。仲良しチームじゃ世界では勝てない」
「卓球の時は、自分もコーチも対等だと思っている」など。
 言うだけのことはしているつもりだ。海外遠征が続いて、ほとんど休むひまがなかった昨年も、グチ一つこぼさず戦い抜いて結果 を出した。連戦がたたって故障してしまい、最悪の状態で臨まなければならなかった年末の全日本選手権でも、痛い顔を見せずにフルセットで何試合も粘り続けた。その毅然とした態度はすでに19歳のものではなく、その視線の高さは、日本における卓球という競技のイメージを、大きく変えていくのではないかという予感を抱かせる。頼もしい若手の台頭である。

 今、女子の卓球界は世界ランクの上位のほとんどを中国選手 が独占している。世界選手権の女子部門は中国選手の天下と言っても過言ではない。ところがオリンピックでは、国を代表する選手の出場枠のルールが課されるということもあって、中国選手の出場人数がかなり絞られるという状況になる。小西が「オリンピックで金メダル」と口にするのも、世界選手権よりもずっと自分に勝算があると冷静に読んでいるからなのだ。

 99年4月からは実業団のミキハウスに所属している。大阪の郊外にあるミキハウスの練習場に小西を訪ねた。最寄り駅から10分ほど歩くと1階が柔道場、2階が卓球場という専用の体育館にたどり着いた。監督室と書かれたドアを開けて現れた小西は、中国のお茶が入った透明なマイペットボトルを手に、ちょっと照れたような感じであいさつをして席についた。ニコニコとよく笑い、矢継ぎ早の質問にも的確に答えてくれる。雑誌や試合中のイメージとは違う、19歳の屈託のない笑顔があった。
特に大好きな松坂投手のことに話が及ぶと、顔をパッと輝かせる。取材中のコメントは豪放だが、決して肩に力は入っていない。彼女の自然体のペースにつられて、ついこちらも「小西さん」が「杏ちゃん」という呼び名に変わってしまうほどだ。

小学校、中学校、高校と日本一のタイトルを総ナメにした小西杏。社会人になってからは、戦いのフィールドを世界に広げてさらに上を狙っている。シドニーオリンピックまで、あと8か月…。オンとオフの素顔を見せてもらった。 

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