父の背中を追い、
名門ジムを復活させた崔会長






日本にやって来たゲルマン魂
文・城島 充
text by mitsuru jyojima
update 12/27

「アイ・ハブ・ア・ドリーム。私には夢があります…」
 マイクからこぼれた声は会場のざわめきに埋もれそうになったが、男性はかまわず続けた。 「この難波から世界に通用するボクサーを育ててみせます」
 十月十五日の大阪府立体育会館。オールボクシングジム会長の崔勝久がリングにあがったのは、セミファイナルの前だった。結局、この場所に戻ってきた。月並みな言葉を使うのを許されるなら、やはり「宿命」なのだろうか。  オールボクシングジム。通称「オール拳」。古いボクシングファンでないと、その響きに覚えがないかもしれない。
 終戦直後の混乱期。「ボクシングの神様」と呼ばれ、戦後初の日本フェザー級チャンピオンになったベビーゴステロのほか、河田一郎(ウエルター級)、大塚昌和、大滝三郎(ともにバンタム級)らの日本王者を輩出した。「戦後の関西ボクシングはオールから始まった」という関係者は多い。
 オーナーの斎藤八郎は旺盛な好奇心と行動力で海外のプロモーターとのパイプも築き、ヘビー級の世界王者だったジョールイスを呼んで大阪球場で興行したこともあった。実業家としても知られ、ミナミでジャズ喫茶やカレーショップ、パチンコ店などを経営。交友関係も華やかで、芸能人や国民的ヒーローだった力道山らとも親交を深めたという。
 だが、日本が高度経済成長期に入る頃になると次第に選手が少なくなり、約二十年前からは休眠状態に。平成六年に斎藤が七十二歳で他界すると、ボクシングとは無縁の生活を送っていた長男の崔は日本ボクシング協会にジムの休会届をだした。
「僕のなかでは、ファイティング原田さんの時代でボクシングへの興味は終わっていました。すっかり縁をきったと思っていたのですが、潜在的にボクシングへの思いがあったんでしょうね」
 休会届から五年あまり。運命の糸は、ふとしたきっかけから崔とボクシングを再びめぐり合わせた。人生の再出発に「アイ・ハブ・ア・ドリーム」と、黒人の公民権運動で知られるキング牧師の有名な演説の一節を引用したのは、どんな思いからだろうか。
「やはり父と同じ血が流れているということですよ」と、五十四歳になる崔は笑った。


 難波駅から府立体育会館に向かうと、「あしたのジョー」の主人公・矢吹丈の姿が目に飛び込んでくる。雑居ビルの四階から八階までをすっぽりと覆った畳五十枚分もある巨大看板。〈名門オールジムの復活〉〈ナンバから世界チャンプを〉という文字も踊る。
 看板が掲げられているのは、崔の父親が建てた国際ビル。「目立つでしょう。立地条件は最高ですからね。いい意味での遊び心をもっていろんなことをやりたいんです」。そう言って笑う崔は、ビルの一階にある事務所でノートパソコンと向き合っている。「今の時代はこれでビジネスができるでしょ。決して片手間でボクシングに関わるんじゃありません」
 大阪を離れ、川崎市で玩具やコンピュータの周辺機器販売など手広く事業を展開する崔がボクシングと再会したのは、今年四月。国際ビルから五十bほど離れた場所に所有している倉庫のテナントを募集したのがきっかけだった。
〈ボクシングジムをやりたいんです〉
 訪ねてきた男性がそういった時、崔は不思議な因縁に驚いた。〈倉庫を改装してボクシングジムにしたい〉。男性はオール拳のことも、崔の父親のことも何も知らずにそう持ちかけたのだという。  崔は男性の願いを承諾した。単なる物置だった古びた倉庫にリングができ、サンドバッグが吊るされていく。その経過を見ているうち、崔のなかで眠っていた血が騒ぎ始めた。
 新たににジムをおこし、日本ボクシング協会に登録すれば高額の登録料がかかる。「オール」の名義を貸すだけでもかなりの力になれるだろう。
 だが、復活を託そうとした男性は、意見の食い違いで崔のもとを離れてしまった。オール拳の復活は結局、崔の手にゆだねられることになった。生活も仕事も基盤は川崎にある。ジムの経営が中途半端な気持ちでできないことは、父を見てきた崔自身がよく知っている。戸惑いもあったが、一度火のついたボクシングへの熱を消すことはできなかった。
 月の半分は大阪に舞い戻ってボクシング関係者はもちろん、ミナミに根を張って商売を続けている老舗店舗の経営者らのもとを回った。「オール拳の復活と、ミナミの街おこしを連動させたい」というのが、崔の思いだった。
「チャンピオンが誕生したら、ミナミをパレードしたいんですよ。ボクシングで地域の活性化にも一役買いたいんです」
 一方で、名門ジムの復活は亡き父の大きな背中を追う作業でもあった。崔は新しい名刺に「崔勝久」ではなく、「斎藤八郎ジュニア」という名前を刷り込んだ。名刺交換の時、どうしても相手の反応をうかがってしまう。
 「この名前にこめた思いをわかってほしいんだけど…」 
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