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アメリカMLB(メジャー・ リーグ・ベースボール)所属ピッチャー 野茂 英雄 |
【インタビューを読まれる前に――野茂英雄の基礎データ】
1968年大阪市生まれ。2人兄弟の長男。
池島小学校5年のときに「池島ファイヤーズ」という少年野球チームに入団。港中学に入学して野球部に入部。投手として活躍。父・静夫氏とキャッチボールをよくしたが、中学2年のころから、父親が受けられないくらいの「剛球」を投げ始める。
高校進学時に野球の名門近大付属高校のセレクションを受けるが不合格。成城工業高校に進学。高校2年のときに夏の甲子園大会大阪府予選で生野高校を相手に完全試合を記録。甲子園出場はならなかったが、卒業時に中日・広島を除くセ・パ10球団がプロ入りを勧誘。しかし「プロの2軍よりも社会人でのびのびとやりたい」との希望から新日鐵堺に入社。のちに「トルネード(竜巻)投法」と呼ばれる独特の投げ方で、都市対抗野球や世界選手権で活躍。ソウル・オリンピックでは金メダルを獲得。
近鉄バファローズに入団した1990年のシーズン、18勝8敗、防御率2.91、勝率6割9分2厘、287奪三振の成績で、最多勝利、最優秀防御率、最高勝率、最多奪三振等、投手の主要タイトルを独占したほか、1試合平均奪三振10.99、1試合17奪三振、2桁奪三振21試合、6試合連続2桁奪三振等の日本記録(当時)も樹立。最優秀新人選手と同時に、最優秀選手(MVP)にも選出された。
その後も3年連続最多勝をはじめ、数々の記録を打ち立てる大活躍を見せたが、1994年に肩を痛めて8勝に終わる。その年のオフ、契約更改の席で「複数年契約」を拒否され、任意引退(自らの希望で引退)選手となり、渡米してロサンゼルス・ドジャースと契約。翌年、日本人2人目の大リーガーとして13勝6敗、防御率2.54。サンデー・コーファクスやドン・ドライスデールといったドジャースの往年の大投手も記録しなかった「3試合で50奪三振」というチーム新記録を樹立するなど、大活躍。
翌96年にはコロラド・ロッキーズを相手にノーヒットノーランも達成。98年シーズン途中にはニューヨーク・メッツに移籍し、今年(99年)のシーズン開幕直前にメッツから戦力外選手を通
告されるが、ミルウォーキー・ブリュワーズのマイナー・チームと契約し、5月にはメジャーに復帰。メジャーリーグ史上第3位
の速さ(試合数)で1000奪三振(イニング数では史上最速)を記録し、12勝8敗の成績を残す。
今シーズン終了後、フリー・エージェントを宣言。ブリュワーズとの再契約交渉は条件が折り合わず、現在(11月末日現在)他球団と交渉中。
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