―――――アメリカと日本の狭間で
ヨーコ・ゼッターランド
【インタビューを読まれる前に――ヨーコ・ゼッターランドさんの基礎データ】
1969年3月24日、サンフランシスコに生まれる。日本名は堀江陽子。
母親の堀江方子さんは、日本女子バレーボール・チームの代表選手として、1960年の世界選手権(リオデジャネイロ)に出場。銀メダル(第2位 )を獲得(優勝はソビエト連邦)。その後、アメリカ人のラース・ゼッターランド(Lars Zetterlund)氏と結婚してアメリカに移住。ヨーコさんが6歳のときに日本に移住。
文京区立第十中学校に進学して本格的にバレーボールを始めたヨーコさんは、バレーボールの名門・中村高校に進み、全国的に頭角を現す。が、全日本選手にとっての“エリートコース”である実業団に進まず、当時、関東女子バレーボール・リーグ6部の弱小クラブだった早稲田大学(人間科学部)に進学。早稲田大学女子バレーボール部を2部にまで押し上げる活躍をするが、全日本代表選手には選ばれず、大学卒業と同時にアメリカ国籍を選択。
アメリカ・ナショナル・チームのオーディションを受けてその一員に選ばれ、バルセロナ・オリンピックで銅メダル(第3位 )を獲得。アトランタ・オリンピックにも、アメリカ代表チームの選手として出場(7位 ))。その後、日本のVリーグ女子の(ダイエー)オレンジアタッカーズの一員として活躍。
現在は、後進の指導、少年少女チームに対する指導のほか、講演会、新聞のコラム等のマスコミ活動でも活躍。今年4月からはテレビの『やじうまワイド』(テレビ朝日系・月〜金曜午前5時50分)のコメンテイターとしてレギュラー出演の予定。


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