朝日生命体操クラブで 練習する子どもたち |
【日本の体操は、なぜ弱くなったのか?】 ――では、かつて強かった日本の体操は、どうして弱くなったのですか? 塚原 日本の体操が弱くなったというよりも、ほかの国が強くなったというか、ほかの国の体操界が、日進月歩の技術革新を続けているのに、日本の体操界がついていけなくなった、ということです。また、日本が、そのような最先端の技術革新を生み出せなくなった、ということです。 ――その原因は……? 塚原 ロシアは、ソビエト連邦時代から日本にとっての最大のライバルでしたが、やはりチャイコフスキーを生み出した国の伝統とでもいえばいいのか、バレエを発達させた国ですから、身体を使った表現力というものが、伝統的に非常に優れています。おまけに、ソビエト時代から、国をあげての選手の発掘システムが整っています。東欧諸国は、そのロシアを見習って体操競技に力を入れています。ドイツも、器械体操をいちばん最初に発達させた国としての伝統があるうえ、地域のスポーツ・クラブが発達していて、老若男女が体操を楽しんでいます。ドイツのクラブでは、多くの年取ったお爺さんが逆立ちしたり、鉄棒したりすることを趣味にしていますし、そのようなクラブの体育館で行われる小さな体操大会でも、観客が満員になり、観客はビールを飲みながら体操競技を楽しんでいます。西欧諸国の体操は、そういうドイツの影響を受けて発展してきました。 そういう東欧と西欧の伝統のなかに割り込むようにして伸びてきたのが、中国です。もちろん中国には、雑技団の曲芸という身体文化の伝統がありますし、そういう伝統のうえに、社会主義的に、国をあげての選手発掘と育成のシステムをつくりあげて、ロシアと並ぶ体操王国を築いたわけです。 ――それに対して、日本は……。 塚原 それは、もう、ご存じのとおり、体育の授業で体操の行われる時間が減りましたし、曲芸師や鳶職といった日本の文化的伝統の影響もなくなりました。そうして、優秀な素質を持つ子供たちが体操選手を目指さなくなったり、また、そのような時代の変化に対応できる新しい人材養成のシステムをつくれなかったり……と、様々な原因が考えられます。 かつては、県立や市立の体育館が建てられるときには、必ずといっていいほどオリンピックに出場した体操選手が呼ばれて、模範演技をすることで「体育館開き」をしたものです。もちろん体育館には、鉄棒や平行棒、あん馬や跳馬の道具といった体操競技用の器具が必ず揃えられていました。ところが最近は、「体育館開き」といえば、バレーボールかバスケットボールでしょう。それに、かつて揃えられていた体操競技用の器具が、最近は古くなって、錆びて使えなくなり、破棄されていると聞きます。使う機会がなくなって、新しく買い換えられることもなく、廃棄されている。要するに、かつて存在した「体操ニッポン」の素晴らしい環境が、どんどんなくなってしまったのです。 ――それは、日本という社会のなかでの「時代の流れ」といえるのでしょうか? 体操よりも、サッカーやバスケットボールを好む子供たちが増えたということで……。 塚原 いいえ、そうではないでしょう。体操も、サッカーやバスケットボールに劣らず、おもしろく、楽しいスポーツです。学校の体育に代わって、そういう体操の楽しさを伝え、広める環境があったにもかかわらず、それをせず、せっかく存在していた環境がなくなってきた、というのは、やっぱり体操界の上層部のひとたちの責任といえるのじゃないですか。 ――そういう裾野の広がりが狭まってくると同時に、日本の体操界は、トップの選手たちの力も落ちてきた、ということですね。 塚原 そうですね。それは当然の結果だと思います。 ――でも、そういう体操界の改革というか、ある意味で、日本の社会のなかでの体操というスポーツのあり方を改革しようとしていては、一流選手の育成に時間がかかって間に合いませんよね。とくに、直也君の成長ということを考えれば……。 塚原 ええ。そこで、とりあえずは、体操先進国のやり方を見習う以外にないと思いました。中国かロシアからコーチを招く以外にないと……。 ――それで、元世界王者のアンドリアノフをロシアから招かれたのですね。 塚原 いいえ。そうじゃないのです。その前に、中国の体操選手にコーチをしてもらったのです。しかも、アンドリアノフの場合も、中国人コーチの場合も、どちらも偶然の出逢いというか、ふとしたきっかけから始まったことだったのです。 |
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