ミュンヘン五輪(78年)
日本は団体で金メダルを獲得。
左から遠藤・中山・岡村・
監物・加藤・塚原・笠松
【日本の体操は、かつて、なぜ強かったのか?】

――では、かつての日本の男子体操は、どうして世界大会で10連覇できるほど強かったのでしょう?
塚原 それは、まず、日本の学校での体育教育のおかげ、といえるでしょうね。

――そういえば、私達の年代(現在40歳代)以上の世代にとっては、小学校での体育の授業といえば、ほとんどマット運動や鉄棒といった体操が中心でした。
塚原 そうでしょう。小学校には必ず鉄棒やマットや跳び箱があって、サッカーとか野球とかはほとんどやらされず、前転や後転、跳び箱の跳躍や逆上がりなんかを、誰もがやらされましたよね。つまり、日本中の子供たちが、学校で体操の基本を学び、そこから体操が得意で、体操競技に興味を持つ優秀な選手が輩出したというわけです。体育の先生も体操競技の出身者が多く、体操を専門にしていない先生でも、鉄棒や跳び箱といった体操はできなくてはいけないという時代でしたからね。かつては、日本全国の小中学校の義務教育のなかで、体操競技の選手を育成し、スカウトをしていたといっても過言ではない時代だったのです。

――そのような鉄棒や跳び箱による体操教育の結果、体育嫌いやスポーツ嫌いの子供たちが、おおぜい生まれたことも事実ですよね。私自身、鉄棒の逆上がりがなかなかできなくて、とても嫌な気持ちになったことが苦い思い出として残っています。
塚原 そういう子供がたくさんいたことも事実でしょうが、鉄棒競技の素質を持った子供を見出すことができたのも、また事実です。

――しかし、すべての学校に鉄棒が備えてあるのは戦前の軍事教育の名残で、私が調べたところでは、懸垂や逆上がりをさせるのは、「三八式歩兵銃を扱うには自己の体重を持ち上げる腕力を養成すべし」ということから始まったのです。その名残が戦後にも残って、鉄棒の逆上がりなど、社会人になって何の役にも立たないことを体育でやらされたわけです。
塚原 (苦笑)それは、まあ、おっしゃるとおりかもしれません。たしかに、逆上がりなんか、何の役にも立ちませんよ(笑)。でも、懸垂や逆上がりそのものには、罪はないのですよ(笑)。それを別の目的に利用しようとしたことが、体操競技というスポーツを嫌う子供たちをつくてしまったわけです。だって、鉄棒にぶら下がって、身体をぶらぶらと揺らせたり、遠くへ跳んだりすることって、基本的に楽しいことじゃないですか。鉄棒で身体を揺らせて、誰がいちばん遠くまで飛べるかとか、そういう遊びは誰もがやったでしょう。

――ええ、やりましたね。小さな公園にも鉄棒がありましたから。
塚原 そういう体操の楽しさを教えずに、何がなんでも訓練として逆上がりをさせるというのは、私も賛成しません。不必要なことだと思います。でも、それはさておき、鉄棒や跳び箱が体育の授業でとりあげられたことによって、体操競技の素質に恵まれている子供が、体操競技をやろうと思うきっかけを得ることができたわけです。最近の小学校では、ボールゲームをする時間が増えて体操の時間が減りました。だから、かつて存在した裾野の広がりが、なくなってしまったわけです。

――なるほど。かつて世界一だった日本の体操は、学校体育の授業内容によって支えられていた、というわけですね。
塚原 そうです。そのうえに、日本の伝統的な身体文化というものがありました。曲芸師などの芸能の世界とか、鳶職などの職人の世界とか、忍者なんかもふくめてもいいかもしれませんが、跳んだりはねたり、高いところから跳び降りたり、身体を回転させたりすることが、日本の伝統文化のなかに存在していたわけです。しかも、それらの文化は、精神面でも日本人の伝統を形作っていました。つまり、修行というか、精神統一というか、高度な身体の動きを一生懸命身につける姿勢が、日本人の血のなかに流れていたわけです。

――日本人には、体操が上手くなる伝統があったと……。
塚原 そういえると思いますね。おまけに、私が現役選手だったころ、つまり日本の体操が世界一だったころは、ちょうど高度経済成長の時代でもあり、世界一になろうとか、世界で認められる何かをやってやろうという気概というか、機運というか、そういう雰囲気が、個人個人のなかにも、社会のなかにもありましたからね。だから私達も、必死になって世界一を目指しました。

――そういう要素が、すべてミックスされて、「体操ニッポン」が生まれたわけですね。
塚原 そういえると思いますね。
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