バンコク・アジア大会(98年)
鞍馬で銅メダルを取った塚原直也選手
【英才教育はなされたのか?】
――初っ端から不躾ですが、御子息の直也君のことについて聞かせてください。1984年のロス五輪以来、日本の体操界は金メダルが獲得できず、直也君に対する期待が高まっていますが、シドニー・オリンピックでの個人総合優勝は、期待できるでしょうか?
塚原 まあ、可能性があるとはいえるでしょうね。世界選手権の結果(1997年3位、1999年2位)を見れば、可能性が高まったともいえるでしょう。でも、それだけのことです。可能性は何パーセントかと訊かれても困ります。勝負は、勝つか負けるかの二つしかないですし、勝負はやってみなければ、わかりませんから。

――直也君に対しては、やはり英才教育を施されたのですか?
塚原 いいえ。そういうことは一切やっていません。小学3年か4年くらいまでは、サッカー少年でした。本人が、体操をやりたいといいだしたのは、4年生のときか、5年生のときだったかな……。

――それまでは、何も……?
塚原 幼稚園に通うころから体操教室に入れました。けど、それは、どんなスポーツをするにしろ、また、スポーツをしないにしろ、体操をやっておけばいいと思っただけのことです。体操の動きというのは、人間の身体の動きの基本ですから、サッカーをしても、野球をしても、体操をやっておいたほうがいいと思った程度です。だから、直也が、サッカーをやりだしたときは、ああ、サッカー選手を目指すのかな、と思いました。

――奥様も体操選手ですから、体操をさせようとか、できれば体操をしてほしい、という考えがあったのでは……?
塚原 それは、なかったですね。自分たちのしてきた苦労は、子供にさせたいとは思わなかったです。たとえ一流の メダリストになっても、体操選手では、社会的にも、金銭的も、あまり恵まれませんからね(笑)。それに、そもそも、私も女房も、家にいる時間が少なかったですから。国際大会や国内大会の連続で、あっち行ったり、こっち行ったり。直也とゆっくり話をしたり、体操の指導をする暇なんてなかったです。

――だったら、直也君のほうから、体操をやりたいと?
塚原 ええ。小学校の4、5年のころでしたか、体操がやりたいといいだして、おまけに、オリンピックでメダルを取れるくらいまでがんばりたい、というので、だったら、どうすればいいのか考えよう、ということになったのです。

――「どうすればいいのか考えよう」と思われたのですか?
塚原 はい。そうです。

――だったら、お父さんが教えてやろう……というわけではなかったのですか?
塚原 私も女房も、女子選手のコーチばかりしていて、男子を本格的に教えるのは初めてでしたから。それに、体操の世界というのは、年々技術革新が進んでいます。それも、凄いスピードで進化していますからね。自分の過去の経験だけで、教えられるようなものではありません。

――それで、世界チャンピオンだったロシアのアンドリアノフを直也君のコーチにつけられたと……。
塚原 いいえ。すぐにそんな具合になったわけじゃなくて、世界の体操界に対する様々な現状分析とか、いくつかの偶然が重なった結果、そういうことになったのです。ご存じのとおり、日本の男子体操は、かつては「お家芸」といわれたくらいで、世界一の強さを誇っていました。が、最近は、まったく勝てなくなってしまいました。

――そうですね。オリンピックと世界選手権で10連勝(1978年)という時期もありましたが、その後は金メダルが獲れず、個人でも、ロサンゼルス五輪(1984年/個人総合・つり輪=具志堅、鉄棒=森末)以来、金メダルは獲得できていませんね。
塚原 それには、理由があるんですよ。かつて、日本の体操は、なぜ世界一になれたのか。それが、いまは、なぜ勝てないのか。それは、過去には優秀な選手がいたとか、いまの選手のレベルが低いとか、そういう単純な問題ではなく、はっきりした理由があるんです。その理由をきちんと分析して、解明して、そこから新たな指導法とか練習法を編み出していかないと、ただ、ガムシャラに練習をしたところで、どうにもなりません。

――根性でがんばろう……としても、ダメだと?
塚原 精神力も大切ですけど、それで金メダルを獲れるほど、甘くはないですよ(笑)。

――そこで、まず、世界の男子体操界の情勢分析からはじめられた、というわけですか?
塚原 そういうことです。
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