OSPAクラブ

投稿者: PN:見習い 
「湯煙の向こうに」

 木々が色づき始めた山麓の温泉。冷えた体を温めようと衣を脱ぎ捨て扉を開けた。私ひとりかなと思いながら湯に入ると、湯煙の向こうに人影があった。どうやら先客がいたようだ。老人かと思ったがそうではないようだ。彼の身体は鍛え上げられてはいるものの、あまりにも痩せているため老人と見間違えた。ふと視線が合った。どこかで会ったような気がした。静かな時間のなかで記憶のページをめくった。思い出した。彼は長野冬季五輪のジャンプ団体戦日本チームの一員であった。
 長野五輪前、日本ジャンプチームは好調で、ドイツ、オーストリアなどの欧州の強国でさえ敵ではなかった。個人戦では日本人同士の争いが熾烈であった。当然のように長野五輪では金メダルを獲得した。誰もが日本の時代がしばらくは続くと考えていた。しかし、その前にとてつもない強敵が現れた。ルールの改正であった。スキーの長さの規定が変更されたのである。もちろん選手全員に採用されるのであるから公平に見えるが、その内容は明らかに日本への攻撃であった。身長の高い選手はスキーの板が長くなり有利になった。身長の低い日本人選手は相対的に不利なった。突然の変更であった。だが、当事者たちは予測していたかもしれない。なぜなら同じようなことが、これまでも行われてきた。荻原健司選手らの活躍で、ヨーロッパの牙城であるノルディック複合において、日本チームは躍進した。その直後、明らかに日本が不利となるルール改正が実施された。ただし、日本チームは努力を重ねその攻撃を見事に跳ね返した。
 ノルディック複合と同様に、ジャンプチームもヨーロッパの攻撃を上手くかわすと思われた。日本チームはスキー板が短くなった分、選手自身の体重を減らし飛距離を伸ばす策をとった。もともとジャンプ選手は減量しており、もはやそぎ落とす贅肉はなく、ジャンプに必要な筋肉をも削っていった。それは選手生命に関わるギリギリの選択でもあった。しかし、結果は無残なものであった。選手たちは減量の効果以上にバランスや瞬発力を失い、長野五輪の活躍が嘘のように、失意の底へと失速していった。
 湯煙の向こうの彼はどこか悲しげであった。もはや過去の栄光はなく、わずかな闘争心だけで立っているノックアウト寸前のチャンピオンのようでもあった。私は彼にがんばれよと心の中でつぶやいた。
 その後、日本ジャンプチームは過度の減量ではなく、筋力強化による対策を行い、成果を挙げ始めている。日本ジャンプチームの復活も遠くないであろう。願わくば、鍛えられた身体の彼に温泉で再び出会って、昨日のジャンプ最高だったねと声をかけたい。
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