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[vol12]水球特集(前編)

水球の夏、大阪の夏。

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水の都大阪に水球チームあり

7月28日から8月20日まで、真夏の暑さよりもアツい高校生のインターハイ、「2009近畿まほろば総体」が近畿2府4県を会場に開催された。夏季大会29競技のうち、大阪が舞台となったのは、水泳(競泳・飛込・水球)、バスケットボール、バドミントン、剣道の4競技。

むむ?水球?

水球の言葉にひっかかったアナタ・・・必読です!
今回のテーマは「水球」です。

夏のスポーツは「高校野球だ」「ビーチバレーだ」という世間の風をもろともせず、練習に励み、頑張っているチームが大阪にあるんです。

水の都大阪だからこそ、このマイナースポーツは応援せんとあきません。
水球文化を広めるために、水球の世界へレッツダイブや!

明治期から日本に波及した水球

まず、そもそも水球とはなんぞやだが、発祥は19世紀のイギリスだ。1870(明治3)年にメトロポリタン水泳協会が「水中フットボール」の名称でルールを制定したのが始まりで、1888(明治22)年 には、現在とほぼ同じルールの「ウォーター・ポロ」となる。程なくしてスコットランド、ドイツ、ハンガリー、ベルギーといったヨーロッパやアメリカにも波及しており、日本にも早い段階で「ウォーター・ポロ」がもたらされた。1907(明治40)年には、関東で試合が行われていたといわれ、関西地区では、神戸に居留していた外国人による「神戸漕艇クラブ」のメンバーが1911(明治44)年頃から、浜寺水練学校の生徒に「ウォーター・ポロ」を指導したことが始まりだという。

「ウォーター・ポロ」が日本で普及した背景として、もともと東京師範学校の水術訓練の一環として、「西瓜取り(すいかとり)」や「打毬戯(だきゅうぎ)」といった水中での遊戯が行われており、スポーツとして馴染みやすかったことが挙げられる。

「西瓜取り」とは海中で2チームに分かれてひとつの西瓜を奪い合い、西瓜を相手陣地となる筏(いかだ)の上に置いた方が勝ちというゲームで、玉が西瓜というのがユニークだ。

「打毬戯」は、紅白の2チームに分かれ、同じ数ずつ水面に浮かべた紅白の小玉から、自チームの色球を拾い上げ、船上に用意された「毬門(きゅうもん)」と呼ばれるゴール目がけて投入する。ここまでは水中版玉入れのようなゲームだが、続きがある。全ての球を投入し終えると、チーム色の大玉が審判から水中に投入され、その大玉をチームで守りながら敵よりも早く、船のわきにあるゴールへと押し込んだ方が勝ちというもので、「西瓜取り」「打毬戯」とも「ウォーター・ポロ」とルールが類似するところがある。

1930(昭和5)年には、「ウォーター・ポロ」の訳語として「水球」が公式に決定。幾度も挑戦しながらも果たせなかったオリンピック出場も、1932(昭和7)年のロサンゼルスオリンピックで実現している。

「面白い事も非常」な水球の魅力

水球のルールは、水上のハンドボールと説明されるごとく、ハンドボールとよく似ている。プール上の縦30m、横20mをフィールドとし、敵陣のゴールめがけてシュート数を争うもので、メンバーは6名の選手とゴールキーパー1名。1ピリオド8分間(※2009近畿まほろば総体では7分)を第4ピリオドまでおこない、シュートの合計得点で勝敗を決める。

ハンドボールとの大きな違いは、水中で行われている点である。当たり前なのだが、水中でハンドボールのような動きを求められるということは、相当な運動量が必要であるということ。競技は水深2m以上のプールで行われるので、足もつかない。

常に立ち泳ぎをしていなければならないし、遠くにボールが飛んだ時はクロールで追いかけなければならないため、運動量は半端ではないのだ。

「非常に苦しいが又面白い事も非常」と、1925(大正14)年の発行された水泳指導書に、水球について書き記されていることからも想像できるように、大正の人々も相当しんどかったようだ。

だが、「面白い事も非常」と書かれている通り、不自由な水中でありながら華麗なパスワークや速攻でのシュート、ゴールキーパーの水しぶきをあげての強烈なブロックなど、見どころは多い。 審判の目の届かない水面下では、足をけり合う、つねるなどハードな戦いも繰り広げられており、「水中の格闘技」とも呼ばれる熱い面もあるのも、魅力のひとつでもある。

水球を広めマイナースポーツから脱却を

海外ではプロリーグがあり、アメリカでは「キングオブスポーツ」と呼ばれるほど人気の水球。

しかしながら、日本では悲しいかな、マイナースポーツにとどまっているのが現状だ。

オリンピックでは、海外チームとのレベルの差は歴然で、通算7回の出場もほとんど勝利できず、最後の出場が1984(昭和59)年のロサンゼルスオリンピックと出場すら遠ざかっている。強豪国がハンガリー、イタリア、イギリスなどヨーロッパ勢が長きにわたって占めているのも、馴染みの薄い要因かもしれない。

しかし、ジュニアオリンピック、インターハイ、インターカレッジと、絶対数は少ないながらも選手が育っていることは確かだ。全日本代表で、世界のトップリーグで活躍するプロ水球選手の青柳勧(あおやぎかん)氏の存在も、水球選手の励みになっていることだろう。

次回は、実際に大阪の地元で活躍し、「2009近畿まほろば総体」にも出場した大阪府立茨木高校水球部にスポットライトを当てる。彼らの水球への思いから、さらなる魅力を探り当てていきたい。

藤田 あかり(Akari Fujita)
大阪府出身。2001年京都外国語大学英米語学科卒業後、フリーライター。
アスリート、作家、職人、老舗の当主など、人にクローズアップした取材を中心に活動。