なぜここで勝てない?
なぜここで失点する?
セレッソ大阪にはこのセリフが常に付いて回る。
2000年、あと1勝で優勝というところで最下位クラブにまさかの敗北。
2001年、J1優勝を狙うどころか成績は最下位でJ2降格。
2002年、J2を2位の成績で乗り切り、1年でJ1昇格。
2005年、波に乗ってまたも優勝のチャンス。勝てば優勝が決まる試合に、ロスタイムで失点を喫し、またも優勝をつかみ損ね、「長居の悲劇」と紙上をにぎわした。
2006年、悲願の優勝をめざすも成績は不振に終わり、2度目のJ2降格。
上昇したかと思えば、急降下するセレッソ大阪。そこについた異名が「ジェットコースター」。決して誉められた呼び名ではないが、それがクラブのカラーだと言ってしまえば簡単だ。手が焼けるほど可愛いという心理と同じなのか、ふがいない敗北にも耐えて、温かく見守ってくれるサポーターもいる。
だが、選手はその陰でもがいている。多くの練習をこなして、広いピッチを絶え間なく駆け巡って。「ジェットコースター」と呼ばれないために。三度悲劇を繰り返さないために。
J2で2年目のシーズンとなる2009年。J2優勝でのJ1昇格が絶対条件のなか、現時点での順位は1位だ。
「大事なのは、どれだけその思いを強くもてるか。どれだけきちんとプレイと結果につなげられるか」
オフィシャルイヤーブックで、羽田憲司キャプテンはこう語っている。
残り20数試合、どこまで彼らの「思い」を見せられるだろうか?
また、シーズン終了後、彼らはどう形容されるだろうか?
「もがき」は、選手だけではない。
セレッソ大阪、藤田信良社長もまた、「もがいている」のだ。
「J1時代は、1試合平均で1万3000人くらい観客が入っていた。よい時は、1万7000人とか、コンスタントにね。J2になるとドンと落ちて、一時は6500人に落ち込んだんです。同じJ2のベガルタ仙台なんて、順位に関係なく安定して観客が入っている。それを見て、どうすればうちもサポーターの数を増やすことができるのか悩みましたね。J1に上がることが近道なのでしょうが、こればっかりは簡単じゃないし、低迷することだってある。つまりは、成績に左右されないサポーターにいかに支えてもらえるか、その環境を整えるのが私の仕事なんだと」
就任2年の間、藤井社長は様々な「しかけ」を打ち出してきた。例えば、サポーターとの間に、2カ月に一度ミーティングをスタート。毎回200人ほどのサポーターが集まり、改善点や要望など生の声を聴き、できることからフィードバックしていくという仕組みだ。セレッソ側からは、サイトクオリティの見直しや、フードパークの充実、多彩なイベントの開催、テレビドラマ「古畑任三郎シリーズ」の作曲家で著名な本間勇輔氏をスタジオマスターに招聘し、セレッソ大阪応援歌の「セレッソ大阪アンセム」を誕生させるなど、ホスピタリティ面、エンタテイメント性での向上を進めた。サポーター側もボランティアとしてスタジアムの清掃を始めるなど、相互協力も叶い、2008年は1万600人に観客動員数が回復している。
「クラブのスタイルを固めることも課題ですね。監督が変わるたびに、攻撃スタイルが変わるようでは、サポーターは結局ついてこないと思います。何となくうちは攻撃型であるという認識はありますが、もっと明確にしていきたい。哲学とか大げさなものじゃなくて、誰もが心の中で共通認識として持てるようにしたい」
地域活動もまた、「地域に根差したスポーツクラブ」とJリーグ百年構想にうたわれるように、クラブにとって欠かせない要素だ。セレッソ大阪も同様に、サッカー教室、母親対象の食育セミナー、病院の慰問活動などを開催し、活動回数は関西最多という地域活動も少なくない。
「大阪に根ざす」という点で、2008年、セレッソ大阪ではさらに大きな転換があった。それは、セレッソ大阪が従来の補強型から育成型へと転向したことだ。クラブには、大物選手や即戦力になる選手を他クラブからスカウトしてくる「補強型」と、ユース(育成組織)から選手を育てる「育成型」に分かれる。これまで補強型に重きを置いていたセレッソ大阪だったが、U-10、11、12、13、15、18という育成組織を経て、プロ選手を育てることで、「セレッソイズム」を持つ選手をより多く輩出するのが狙いだ。
「将来、ユースから少なくとも半分はレギュラーで出られたら・・・さらにその半分が大阪の子だったら最高ですよね」
セレッソ大阪が運営する16校のサッカースクールにはのべ1700人が日々練習に励んでいる。そこからユースにセレクションされるのは、全国の強豪選手も加わるためわずかな確率だが、クラブのこの方針転換は地元選手にとって大きな励みになる。
「選手が自分と同じ町内出身だったり、同級生だったりしたら楽しいですよね。たとえユースに選ばれなくても、セレッソ大阪ファンになってもらえたら嬉しい。地道な取り組みですから時間はかかりますが、そういった活動があってはじめて、本当の大阪のクラブになるのだと思います」
2009年からは和歌山でも育成組織「U-15」を立ち上げた。また中学の女子クラブの結成も視野に入れているという。
真の大阪のクラブになるために。
セレッソ大阪の挑戦はまだ始まったばかりだ。
取材日:2009年6月26日
於:セレッソ事務所

- 藤田 あかり(Akari Fujita)
- 大阪府出身。2001年京都外国語大学英米語学科卒業後、フリーライター。
アスリート、作家、職人、老舗の当主など、人にクローズアップした取材を中心に活動。

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